今年も、一年が終わろうとしている。
いつか見た「ドラえもん」の出してくれた道具に、時間の流れが風になって見える道具があった。取り出した途端、ものすごい勢いでドラえもんとのび太の周囲を風が吹き抜け、決して戻らず、止まらず、流れ続けている時間を視覚化することがどれだけ恐ろしいかを感じたことがある。
(ドラえもんがそれを実感させたかった当ののび太はそこまで意識しなかった話だったと思うけれど・・・)
いつか見た「ドラえもん」の出してくれた道具に、時間の流れが風になって見える道具があった。取り出した途端、ものすごい勢いでドラえもんとのび太の周囲を風が吹き抜け、決して戻らず、止まらず、流れ続けている時間を視覚化することがどれだけ恐ろしいかを感じたことがある。
(ドラえもんがそれを実感させたかった当ののび太はそこまで意識しなかった話だったと思うけれど・・・)
普段、時間の流れを意識するのは、時計の針くらいしかない。
仕事の期限や、つまらない飲み会から解放されるまでの時間や、遅くなってほんの少ししか眠れない夜や、起きられない寒い朝、時計の針を眺めては、早く進まないか、もっとゆっくり進まないか、と勝手な想いを込めて見つめる針は、決して考えたようには進んでくれない。
誰にでも平等に、誰も止めることができず、そして、確実に、自分の残りの命を削りとりながら時間は流れ続けていく。
60分×24時間×365日=525,600分。
秒針が525,600回回る間、今年も早いような長いような、いろいろな想いで時計を眺めた。
御主人様と待ち合わせ、途中で電車が動かない時。
世間話とは違う意味のこもったメールを送り、返事が届くまで。
ふと気がつくと、初めてであってから大分時間がたったことを思い出した時。
ほんの少しの逢瀬が終わり、「表」の顔にしばらく戻れないくらいのめり込んだ時。
どれも、時計を眺めたところでどうなることもない想いや感覚で、秒針を眺めた。
御主人様の足下で責めを受けながら自分自身を解放し、身体の奥から御主人様を抱きたくなる衝動が身体の奥底からこみ上げてあふれる感覚を、時間で冷静に記録したら、どうなるのだろうと考えることがある。
燃えさかり、猛って御主人様を求める私に、「私のどこがそんなにいいの」と、何度も、何度も訊かれ、私は、その都度、違う答えを口にしてきたと思う。
どれも本当で、どれも真実で、そしてどの言葉も正確には感情を伝えられない。
御主人様を求める感情は、どこまでも変わらない。今年の525,600回の間に、私はまっすぐそう思えるようになった。
そのまっすぐさは、敷かれたレールを進むようなものではなく、一歩先も見えない霧の中で、それでも確かに脚を前に出して歩を進めることだけを続けるような感覚といえばいいだろうか。
誰にも宣言できないし、誰に話してもその感情が正しいとは言ってもらえるはずもない。すべてを壊してしまう危険性と、結局誰も幸せにすることはできない無力感と、今ならまだ元に戻れるかもしれないという甘えと、すべてを抱えて私は歩く。
私の心の空で、月は満ち欠けを繰り返し、朝に夜に、姿を見せては地平線に隠れていく。
雲に隠れても、新月の闇夜も、心の空に月が失われることはなく、やがて姿を現し、光を放つ。
私は、月の光に照らされ、射貫かれて燃える一人の男である。
太陽の光の恵みで命を育み、夜には月に抱かれて眠る。
私の空に月は一つ。決して変わることはない。
秒針が今年525,600回目の回転を終える夜の闇で、一人、想う。
貴方無しには私ではなく、貴方無しには朝は来ません、と。
仕事の期限や、つまらない飲み会から解放されるまでの時間や、遅くなってほんの少ししか眠れない夜や、起きられない寒い朝、時計の針を眺めては、早く進まないか、もっとゆっくり進まないか、と勝手な想いを込めて見つめる針は、決して考えたようには進んでくれない。
誰にでも平等に、誰も止めることができず、そして、確実に、自分の残りの命を削りとりながら時間は流れ続けていく。
60分×24時間×365日=525,600分。
秒針が525,600回回る間、今年も早いような長いような、いろいろな想いで時計を眺めた。
御主人様と待ち合わせ、途中で電車が動かない時。
世間話とは違う意味のこもったメールを送り、返事が届くまで。
ふと気がつくと、初めてであってから大分時間がたったことを思い出した時。
ほんの少しの逢瀬が終わり、「表」の顔にしばらく戻れないくらいのめり込んだ時。
どれも、時計を眺めたところでどうなることもない想いや感覚で、秒針を眺めた。
御主人様の足下で責めを受けながら自分自身を解放し、身体の奥から御主人様を抱きたくなる衝動が身体の奥底からこみ上げてあふれる感覚を、時間で冷静に記録したら、どうなるのだろうと考えることがある。
燃えさかり、猛って御主人様を求める私に、「私のどこがそんなにいいの」と、何度も、何度も訊かれ、私は、その都度、違う答えを口にしてきたと思う。
どれも本当で、どれも真実で、そしてどの言葉も正確には感情を伝えられない。
御主人様を求める感情は、どこまでも変わらない。今年の525,600回の間に、私はまっすぐそう思えるようになった。
そのまっすぐさは、敷かれたレールを進むようなものではなく、一歩先も見えない霧の中で、それでも確かに脚を前に出して歩を進めることだけを続けるような感覚といえばいいだろうか。
誰にも宣言できないし、誰に話してもその感情が正しいとは言ってもらえるはずもない。すべてを壊してしまう危険性と、結局誰も幸せにすることはできない無力感と、今ならまだ元に戻れるかもしれないという甘えと、すべてを抱えて私は歩く。
私の心の空で、月は満ち欠けを繰り返し、朝に夜に、姿を見せては地平線に隠れていく。
雲に隠れても、新月の闇夜も、心の空に月が失われることはなく、やがて姿を現し、光を放つ。
私は、月の光に照らされ、射貫かれて燃える一人の男である。
太陽の光の恵みで命を育み、夜には月に抱かれて眠る。
私の空に月は一つ。決して変わることはない。
秒針が今年525,600回目の回転を終える夜の闇で、一人、想う。
貴方無しには私ではなく、貴方無しには朝は来ません、と。
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