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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
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山芋責め
 自虐プレイをしなくなって、大分たつ。

 長い時間をかけて、特定の女性の前でだけ、自分の素顔のまま足下に平伏する奴隷ないし執事としての自分を認められるようになった以後、種々の責め、として用いられる苦痛や行為だけを取り出して自分に施してみることには興味がなくなってしまった。

 確かに、M男性向けのビデオを見るときは、そういう「愛情のあるSM」よりも、多人数の女性から理不尽な責めを受けるようなビデオを好む。何十人もの女性の脚で踏みにじられたり、便器にされたりしている姿を見て昂奮するのはいささか矛盾しているけれど、自分がリアルにそんな経験ができる機会があったとしても、やります、とは言わないことは確かだ。

 自虐に興味がなくなった代わりに、やってみたいと思ったことはやってみていたはずが、一つだけ忘れていたことがあるのに気がついた。

 「山芋責め」「かゆみ責め」の類である。
久しぶりに更新された奴隷夫人の画像を見て、久しぶりにゾクっとしてしまった。

結城作品にも時々出てくる山芋を使った責め、かゆみで我を忘れるほどの苦悶にあえぐヒロインにいいようもなく昂奮したことを思い出した。このシーンでは母娘だけれど、姉妹や教師と生徒、という組み合わせもあったような気がする。

別の女性と両方で同じ責めを受け、崩れ落ちそうな方を守りながらさらなる苦悶を与えられるシチュエーションは、何回みても昂奮する。
堕とされてみたいと思う時はそんな妄想をすることが多い。

でも、これが「父子」だったり「兄弟」だったりするとなんか、成立しない。
私のM性は、どこかで女性よりのところがあるようで、どこかで被虐に男性目線の「美」を求めているような気がする。

山芋責めは、経験してみたい責めの一つだった割に、浣腸などと違って今ひとつ気持ちを盛り上げてくれる道具が少ない。

「男」が一人ですり鉢で山芋をおろして、自分で塗って、かゆみを我慢する・・・。

何にも美しく感じない。

やっぱり、結城作品や土蔵さんの絵のように、美しい女性が、脂汗を流しながら耐えるから成立する責めのような気がする。

さて・・・、やってみたいなら、久しぶりに女装するしかないけれど。

久しぶりに妄想をかき立てられた絵だった。
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