結城彩雨作品から影響を受け、イラストでその世界を表現している方のサイトを探していると、奴隷夫人というサイトにたどり着いた。
昔の「エロトピア」みたいな(といったら作者の方には失礼かもしれないけれど)劇画調のイラストには、かつて子供の頃に空き地でそんな雑誌を見かけた時のような激しい昂奮を覚えてしまう。しかも、そこに描かれているのはただ「エロ」いだけでなく、厳しく責められて被虐美を呈す女性たちなのだから。
ゆり子・監禁家畜生活と題されたシリーズは、生徒を助けるために不良グループのいいなりになり、転落していく女教師が主人公。
昔の「エロトピア」みたいな(といったら作者の方には失礼かもしれないけれど)劇画調のイラストには、かつて子供の頃に空き地でそんな雑誌を見かけた時のような激しい昂奮を覚えてしまう。しかも、そこに描かれているのはただ「エロ」いだけでなく、厳しく責められて被虐美を呈す女性たちなのだから。
ゆり子・監禁家畜生活と題されたシリーズは、生徒を助けるために不良グループのいいなりになり、転落していく女教師が主人公。
久しぶりに、リアルと接するような妄想を覚えてしまった。
誰かを守るために、そして、自分の責任を問われ、その身体に辱めを受けて転落していくシチュエーションは、私が最も昂奮させられるストーリーなので、ちょうど、妄想にはまり、わずかに呼吸を荒げてしまいながら一つ一つ画像を凝視した。
裸のまま電極を身体にまとわされ、クリスマスパーティのツリーにされた主人公。
性感を昂ぶらされては電極で激しい責めを加えられる姿を何人もの人々に見られて辱められるシチュエーションに、姫と自分を投影してしまったのは、なぜなのだろう。
スーツ姿のまま、局部と両方の乳首に電極を当てられ、磔にされれば、男性の身体でも、ここまで昂ぶらされることができるだろうか。
少しずつ洋服を切られ、隠すもののなくなった自分自身は、浅ましく性感を求めて昂ぶるだろうか。
姫の前で、姫でないモノから受けた性感で昂ぶる自分を、どれだけ情けない思いで焦燥するのだろうか。
大抵の妄想が叶い、それでもまだ別の妄想で燃える自分が、不思議だ。
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