男性の身体が求める「絶頂」は、身体の中に溜め込んだ苦痛を一気に放出する時に訪れる。ならば、浣腸の苦痛によって「崩壊」する瞬間に射精できなかったなら、その時身体の中に猛った衝動は、一体どうなるのだろうか。
浣腸の苦痛を、自分一人で耐えきるのは難しい。また、一人きりでは崩壊の瞬間に、射精の快感を味あわずにいることはできず、私は最近まで、「本当の限界」まで浣腸の苦痛に耐えきれたことは無かった。
浣腸の苦痛を、自分一人で耐えきるのは難しい。また、一人きりでは崩壊の瞬間に、射精の快感を味あわずにいることはできず、私は最近まで、「本当の限界」まで浣腸の苦痛に耐えきれたことは無かった。
その日の体調や、注入する液体の濃度、温度、どれも一定の条件に揃えることはなかなか難しい。まして、実際に浣腸の苦痛を身体に施すためには、責める側、受ける側、お互いに、「どのくらいの量と時間でどのくらいの苦痛か」の認識しやすいようにすることが必要になる。グリセリン溶液の濃度と注入量を指定することでもそれは可能だけれど、自分で自分に注入するためには、イチジク浣腸が一番手軽だった。
「結城彩雨氏の小説」中には、数十個のイチジク浣腸を近所の薬局に買いに行かされ、好奇の目で店主に見られることを、標的の人妻に課すシーンがよく出てくる。それだけ「イチジク浣腸」は象徴的な題材だから、かつての私は、なるべく怪しまれないように、数件の薬局やドラッグストアを回りながら、少しづつイチジク浣腸を集め、小説を読みながら、一つ一つ、それらを自分に施していた。
小説に書かれたままの量を自分に施すことは、本当はとても危険なことだろう。私はせいぜい、イチジク浣腸3つを、5分ほど堪えるのが「限界」だったし、浣腸の苦痛から解放される瞬間、射精の快感を自分で加えていたから、実際の「プレイ」の中で与える苦痛の材料として使われていたわけではなかった。
最近になって、初めて、実際にそこまで追い込んで頂き、初めて知った「本当の我慢の限界点」は、「自分ではまだ大丈夫」と思うところにあったらしい。最初の「崩壊」の瞬間から、結局、30分以上、私は腸の渋りを収めることができず、一人、トイレの中から出ることができなかった。
単にお腹を壊した時のように、周期的に腸を苛む鈍痛をトイレで味わい続けるうち、そこまで猛っていた性衝動は、「崩壊」直前までの高まりから次第に醒め、男性自身もまた、その状態を正直に表していた。
そのままトイレから出て、もう一度御主人様の前で正座し足下から見上げた御主人様の表情は柔らかで、私は戯れに額を膝元に当て、一時、緊張を解く。裸のままトイレで過ごす間に冷えた身体に、じんわりと、御主人様の体温の暖かさが導かれていく。
私の男性自身は、その瞬間から血流を集めはじめ、膝から顔を上げてもう一度御主人様の表情を見上げた頃には、元と同じような硬度を取り戻していた。
浣腸の苦痛からの解放は、射精の快感には代用されないらしい。「限りある」男性の絶頂を極めていたなら、そんな短時間で「二度目」の絶頂へ向かうことは不可能なはずだった。
この時点で、私がまだ到達できていない「絶頂」を、その後身体に刻み込んだのは、意外な行為だった。
・・・・その6に続く。
「結城彩雨氏の小説」中には、数十個のイチジク浣腸を近所の薬局に買いに行かされ、好奇の目で店主に見られることを、標的の人妻に課すシーンがよく出てくる。それだけ「イチジク浣腸」は象徴的な題材だから、かつての私は、なるべく怪しまれないように、数件の薬局やドラッグストアを回りながら、少しづつイチジク浣腸を集め、小説を読みながら、一つ一つ、それらを自分に施していた。
小説に書かれたままの量を自分に施すことは、本当はとても危険なことだろう。私はせいぜい、イチジク浣腸3つを、5分ほど堪えるのが「限界」だったし、浣腸の苦痛から解放される瞬間、射精の快感を自分で加えていたから、実際の「プレイ」の中で与える苦痛の材料として使われていたわけではなかった。
最近になって、初めて、実際にそこまで追い込んで頂き、初めて知った「本当の我慢の限界点」は、「自分ではまだ大丈夫」と思うところにあったらしい。最初の「崩壊」の瞬間から、結局、30分以上、私は腸の渋りを収めることができず、一人、トイレの中から出ることができなかった。
単にお腹を壊した時のように、周期的に腸を苛む鈍痛をトイレで味わい続けるうち、そこまで猛っていた性衝動は、「崩壊」直前までの高まりから次第に醒め、男性自身もまた、その状態を正直に表していた。
そのままトイレから出て、もう一度御主人様の前で正座し足下から見上げた御主人様の表情は柔らかで、私は戯れに額を膝元に当て、一時、緊張を解く。裸のままトイレで過ごす間に冷えた身体に、じんわりと、御主人様の体温の暖かさが導かれていく。
私の男性自身は、その瞬間から血流を集めはじめ、膝から顔を上げてもう一度御主人様の表情を見上げた頃には、元と同じような硬度を取り戻していた。
浣腸の苦痛からの解放は、射精の快感には代用されないらしい。「限りある」男性の絶頂を極めていたなら、そんな短時間で「二度目」の絶頂へ向かうことは不可能なはずだった。
この時点で、私がまだ到達できていない「絶頂」を、その後身体に刻み込んだのは、意外な行為だった。
・・・・その6に続く。
| ホーム |