お互いに、もしくは片方が忙しくて逢瀬の時間が取れない時、夢の中で、日中の妄想で、そして、ネットを使ってでも、繋がりを求めたくなる時、私達Mの血は、そこにリアルの苦痛を求めるものなのかもしれない。
ある人にとってそれは、絶え間なく続く禁欲の苦しみなのかもしれないし、ある人にとってみれば、逢瀬を禁じられることそのものが苦痛を生み出すのかもしれない。
他の誰でもない手のひらの体温や、皮膚の温もりを思うのと同時に、その意思によって引き起こされた苦痛を、離れたところで自分に施すことで感じたいと思う気持ちがあると思う。
ある人にとってそれは、絶え間なく続く禁欲の苦しみなのかもしれないし、ある人にとってみれば、逢瀬を禁じられることそのものが苦痛を生み出すのかもしれない。
他の誰でもない手のひらの体温や、皮膚の温もりを思うのと同時に、その意思によって引き起こされた苦痛を、離れたところで自分に施すことで感じたいと思う気持ちがあると思う。
昔、その手段は、浣腸だった。
薬液の量と時間は、ネットを使っても容易に共有できる苦痛を生み出す道具になりえた。
そして、排泄によって起きる些末な問題を、相手に感じられることはない安心感が、毎晩チャット越しに名も知らぬ「S」を求めて彷徨う原動力になっていったのかもしれない。
何年もたって、「Second Life」を歩きながら、ふと、週刊誌で見た道具を思い出した。
「筋肉マウス」
もちろんそんなことに使うものではない・・・のだけれど、ふと、気ままに御主人様と話しながら、手の甲にこのパッドをはりつけ、今日あったたわいもない話しの中に潜んだ私の慢心をかぎ取り、刺激を与えられたら・・・。
もちろんそんな危険な機能は付けられないのかもしれないが、ネット経由でEMSの調節ボタンを操作したのと同じような動作をさせるためのドライバを作ったら、画期的な「道具」になると思う。
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