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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
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性感開発
 「ワシのことが忘れられないカラダにしてやる」

 安直な男性向けのアダルト小説で、よく見る言葉だ。

 男性の性感は女性の性感に比べるべくもなく単純で、衝動的で、しかも達してしまえば醒めるだけで浅い。「性感を開発する」なんてことは女性の身体を自由にできる男の特権で、開発した性感で女性を意のままに絶頂に追い上げていく行為こそが男の醍醐味である。

 某日経新聞に掲載されるたびに貧弱な性体験しかない男性に大受けして社会現象になるエ○小説作家の作品に出てくる男性も、決まってこんな感じだ。
 
 そんな認識が間違っていたことを、私は初めて知ってしまった。

 私にとっての性感は、女装し、普段の自分から別の顔を創った時にだけ味わえたものだった。性感に溺れる快感を味わうために、普段の自分から自分を切り離す行為が、確かに以前は必要だったはずだ。

 責められ、苦痛に呻く声も、喉の奥に声を詰めて、まるで女性が発するそれのように装っていなければ、自分の醜悪さに醒めてしまっていた。

 経験豊富と思われる職業女王様の前でカタチだけ傅き、リードされるままにひととおりのプレイをしても、なんの感激も得られなかった私が、自分の性感を思いのままに解放できるのは、女装したときだけだったはずなのに。

 普段の自分の顔をさらし、さっきまで職場で何食わぬ顔で仕事をしていた姿のまま、ほんの少し後の逢瀬の間、全身が火柱になったような快感に全身を貫かれていくことができるようになったのは、何がきっかけだったのだろうか。


 SM行為をすれば自分の性衝動が満足されるはずだと、縛られてみたい、責められてみたい、妄想ばかりを募らせた先に待っていたかけがえのない現実。

 それは、日常と何ら変わらない姿のまま、日常にはあり得ない関係性でたった一人の女性の前に傅き、痛みを乞い、しかしながら身体を傷つけられる恐怖に震える表情を晒すことだった。

 「足フェチ」でも、「聖水フェチ」でも、「ハード好き」でも「ソフト嗜好のM」でもなかった。

 私は、今の自分が永遠に御主人様のものだと、やっと思えるようになった。それに気づいた時、自分の身体には縛られた私を柔らかな指先で刷くように撫でる感触と、シャツの上から書類ファイルの角があたっただけでジン、と爪先まで痺れる電流のような感触が、刺青のように刻み込まれていることを知った。

 求めていたのは、これなのだ。

 求め続けている間、まるでわからなかった。

 今、私の身体は、真実のリアリティを常に訴えかけている。性感が開発される、というのは、こういうこと、なのだろう。
 
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