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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
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「聖水」への想い【03】
「女性の尿」を初めて見たのは、当時つきあっていた彼女のモノだった。興味本位にそんなことを頼んだことを、今では後悔している。
狭いアパートのユニットバスのトイレに腰掛け、陶器を叩く透明な一筋の流れを見た。コップに注いで、眺めても見た。大好きな女性だった。しかし、口にしようとは思わなかった。「思えなかった」のかもしれない。


私は、何のためにそんなことをしたのだろう。


その液体が「聖水」になるような行為を、私は彼女とはすることが出来なかった。そして、無理矢理それを口にしてしまえば、恐らく彼女は私を嫌っただろう。
しばらく後には自然に別れを迎えることになってしまったが、私は「そんなこと」で全てが終わりになるかもしれないリスクを冒す勇気は無かった。


それから、10年以上がたった。
私は、ついに「聖水」を身体の中に吸収し、今日を生きている。


初めて「そのとき」を迎えるまでに、私は二つの条件を、自分に課していた。


ひとつ、ご主人様の目の前で、受け入れること。
ひとつ、絶対に、全てを受け入れること。


前回のエントリーのとおり、私は自分の「排泄物」を、身体が受け付けないことを経験していた。頭の中でファンタジーを描くだけでは、喉を通すことはできない。それはその時までの事実であり、現実であった。


「聖水」を「聖水」として扱うために、絶対に「やってみたが駄目だった」ということは許されない。「キツいことをやらせてみたけど我慢が出来なかった」ということとは違う。


初めて自分のそれを、「聖水」として差し出す側の羞恥と不安は、どれほどのものだろうか。


聖水を与えて欲しいとお願いした私にできるのは、一度で、全てを飲み干すこと。失敗した時にご主人様が複雑な感情を持つようなことはあってはならないと思った。だから、「目の前で、全てを一度に」受け入れたかった。


一度二度、テストをする、というのも一つの選択肢だったかもしれない。万一の失敗のことを考えたら、一度姿を隠して、できるかどうか確かめてからでも遅くはなかったかもしれない。


でも、私はその時間が惜しかった。毎日の生活の中の、ほんのひとしずくが、私たちに与えられたかけがえのない瞬間だから、一瞬でも無駄にしたくは無かった。


目の前には、「聖水」が入ったコップがある。


手に取り、御主人様と、両目で確かに視線を合わせる。それさえあれば、何も不安は無かった。今まで、こんな瞬間に出会えることを何度想像してきただろう。これは、現実で、そして、「無理矢理飲まされる」のではなく、「与えていただいた」ものだ。


直後、私は、両手でグラスを押し頂くように唇に当て、一気に傾けて、喉の奥まで受け入れていた。喉の粘膜も、せき髄反射もなかった。


私は、望んでいた自分に、ついになれたような気がした。
「聖水」は、すぐに私の身体に吸収され、体中の血管から私の細胞一つ一つに染みこんでいくだろう。私の身体の全ては、ご主人様の印に染められていくのだ。


そのことを実感すると、軽く、めまいがした。
ここまで求めても許されることに、震えるような熱情を覚えた。

テーマ:SM - ジャンル:アダルト

コメント
この記事へのコメント
自分が求めてるモノと、相手の方が求めてるモノが同じということの喜びは、何にも変えられないですね
「聖水」に関しては私は経験がほとんどないので
何もいえませんが。。
させられるのではなく、与えてもらってる
それを今、快感という名で教えてもらってる途中です
2006/02/27 (月) 21:41:24 | URL | こねこ #-[ 編集]
ふつうの恋人どうしも、私たちのような嗜好を持つ関係でも、やっぱり、相手が求めるものと自分の求めるものが同じになったり、一緒に求め合ったりすることが素敵なことだと思います。
聖水が云々、ということだけではなくて、やっぱりいろんな場面、いろんなことを媒介にして、感じられたらいいですよね。
2006/02/28 (火) 00:33:48 | URL | cockshut #-[ 編集]
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