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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
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「乱心」と「怒り」を感じた時
 FC2ランキングの「SM」カテゴリには、毎日のように一人の読者として驚きを禁じ得ないほど刺激的で美しいblogが増えていく。

 アダルトblogを初めて書いてみた私にとっては、「こんな綺麗な女性がこんなことまでされている写真(動画も)が見られるなんて・・・」と圧倒され、一面では、技術的にとても完成度の高い情報が詰まったblogを拝見してまた圧倒される。

 「軌跡」とは謳ったものの、このblogはもともと手元に書きためていた「妄想を展開する」シリーズなどの小説もどきを公開したらどういう反応があるのかな、と思ったことが契機だった。

 妄想にとどまっていた自分の中身を展開することにかまけてみたりすることも多い私は、今ひとつ「今の自分の感情」を表現するのが苦手なタイプで、それは、blogにも現れているように思う。
 私には、実力以上に能力があると見られたり、実際の行為へ払った努力以上に自分を評価されることを、本心では迷惑だと感じながら、その場ではさらに自分を謙遜してより「いい子」に見られようとしてしまう傾向がある。

 その時々に抱く感情を極力抑え、人から批判されたり指摘されて気づくようでは遅いのだ、と「ダメなヤツ」と一番思われにくいように行動し続けてきた。

 今更、行動様式を簡単に変えられる訳もない。それはもう、ずっと小さい頃から私が身にまとってきた鎧のようなものだ。しかし、本心でいくら迷惑だと思っていたとしても、結果として実力以上の評価を受け続けることは、そう長く続けられるものではないと思う。

 それは私だけではなく、場末の安酒場でコンパニオンの女性に戯れてみたり、世間では厳格な夫が自宅では奥様の「僕」のように嬉々として家事を手伝ったりすることも、自分の実態像を「実力」の大きさに近づけるために選んだ行為なのだろう。


 私は、【性癖としてのM】に魅せられ、しかしながら【主従としてのSM】は長いこと受け入れられずにいた。

 プレイの始めに「奴隷としての挨拶」を必ず求められることは滑稽に映った。
 やたらと「心のつながりを証明するための禁欲」を求められると、その度に「禁」を維持する努力ができず、隠れて自慰して何度も自己嫌悪した。
 メールだからわからないだろう、と適当な「報告」を書き連ねたこともある。

 何をどこまで反省すればよかったのだろうか。

 そもそもあの時「禁」を破っては、かりそめの「主従関係」を断ち切ったり切られたりした過去があって、今の自分がある。

 以前、お慕いする御主人様が、時々は自分は「乱心」するかも、と宣言なさった時、SMの主従関係に、そうした「普通の男女の感情」が混ざった時、私はそれをどうやって受け止めることができるだろうか、わからなかった。


 今、私は「プレイ」以外の領域にしみ出してくる「乱心」や「怒り」の感情を感じた時、御主人様が安心して「乱心」し、「怒りをぶつけてもらえる」存在になれた幸せを噛みしめている。

 偽りなく、満たされた感情である。
コメント
この記事へのコメント
 cockshutさんのブログは不思議です。
ここへ来ると、さやかはいつも思考の迷路に迷い込み
過去の事を思い返したり
今の自分を反芻したりして
あれこれあれこれあれこれと・・・・考えてしまうのです。
ブログを書いた人ではなく、自分自身をみつめてしまうブログ。
2006/09/01 (金) 17:04:50 | URL | さやか #DS51.JUo[ 編集]
あまり迷われないように
こちらのエントリーも少々読みにくいところがまだ残っていたので、少し書き直してみました。

私も思考が迷路になるタイプで、それが文章にモロに現れています。

でも、あまり悩まず軽く読んでくださいね(^^)
2006/09/03 (日) 01:51:43 | URL | cockshut #-[ 編集]
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