「聖水」を口にするまでには、誰でもいくつか「段階」を経ているはずだと思う。最初からいわゆる「人間便器」(聖水、と言いながら便器というのは矛盾していると思うけれど)の形で聖水を受け止めた人は、上手に目的を遂げることができただろうか。私が初めて口にしたのは、ガラスのコップに入った「液体」だった。
それよりずっと以前、私は何度か、自分の尿を飲めるか試したことがある。
当時一番気に入っていた安部 譲二の「マドンナナメイト ミストレス文庫」を持ってトイレに入り、女性の尿を無理矢理口に流し込まれるシーンまで読み進んで自分を昂ぶらせた。
自慰しないと収まらない男性自身を右手でしごきながら、視線を小説に落としたまま便器を跨ぎ、ペットボトルに100ccほどの自分の尿を集めた。そのまま、小説の主人公になった気持ちで、ペットボトルを口にあて、一気に喉に流し込んだ。
しかし、その瞬間、喉の奥から激しい嘔吐感が身体を襲い、喉の奥に入ることを拒否された生暖かい液体は全て便器の中に吐き出されていた。
「尿」は、普段口にする食物と比べ明らかに強すぎる塩分濃度と、身体から排泄されるもの特有の臭い、そして、体温そのものを移した温度を持つ。それが身体の中に入れるべきものでないことを、人間の身体は記憶しているのだろう。反射的に発生する嘔吐感は、まぎれもなくそのことを証明している。
それから長い間、私は自分の尿での「飲尿トレーニング」を行うことは無かった。そして、「いわゆる聖水」とは言え、体液の一種である液体を口にすることは、お金を払って希望を叶えてもらえばよいと言うものではない。
以来、私は御主人様との主従を結ぶまで、私は一度も「尿」を口にしたことはなかったから、「コップに入れた無色透明な液体」を一気に喉の奥に流し入れた時の高揚感を、今言葉で表現するのはとても難しい。
喉の奥を「液体」が一息で通過し、胃の中に落ちていった。しかし、私の喉から嘔吐感は起きなかった。
それは目の前で、初めての行為を下僕が受け止めることができるかじっと見つめている御主人様の視線があったからかもしれない。あるいは、御主人様に恥をかかせたくないという私自身の決意のせいだったかもしれない。
いずれにせよ、私は「液体」を飲み干すことに成功し、私は下僕としての御主人様への想いを一つ、形にできたような高揚感で満たされることになった。
以後、数回、「ガラスのコップごし」の行為は続き、漏斗を介した直飲の段階へ進んだ。
仰向けで連続して吐出される暖かい液体は、確かに「人の体温」そのものであったけれど、自分の体温の液体を口にした時のような嘔吐感を感じることは無かった。次から次へと漏斗を伝って流入する液体は、全く口中を介することなしに直接喉に入れることでしか全てを受け止めることはできない。普段の生活ではあり得ない嚥下動作を繰り返すことが、「液体」を受け止めるための唯一の方法だった。
それは、ある意味では確かに御主人様が強いた行為なのかもしれない。けれど、私はまだそれが貴重な「液体」であることは理解していても、「聖水」とまで思い入れる意識はまだ持ちあわせていなかった。
失敗せずに「液体」を体内に入れる行為を成功させる度、私は自分の細胞一つ一つに、御主人様の身体を流れていた液体が吸収されることを思った。たとえ体内の水分が1サイクル入れかわっていたとしても、私の身体が御主人様自身と同化していることに変わりはない。
私の身体の中を流れているのは、私自身の血液と、御主人様の身体の中を流れた液体、その二つだけだ。それは私の誇りであり、ある意味でタトゥーよりも深く身体に刻まれた隷属の証なのだ。
私は自分の身体をこの先ずっと、穢そうとは思わない。
しかし、その「液体」が「聖水」になると同時に、今に至るまで想像したこともない戸惑いを覚えさせる作用を私の身体に与えることになった。
その8に続く・・・。
当時一番気に入っていた安部 譲二の「マドンナナメイト ミストレス文庫」を持ってトイレに入り、女性の尿を無理矢理口に流し込まれるシーンまで読み進んで自分を昂ぶらせた。
自慰しないと収まらない男性自身を右手でしごきながら、視線を小説に落としたまま便器を跨ぎ、ペットボトルに100ccほどの自分の尿を集めた。そのまま、小説の主人公になった気持ちで、ペットボトルを口にあて、一気に喉に流し込んだ。
しかし、その瞬間、喉の奥から激しい嘔吐感が身体を襲い、喉の奥に入ることを拒否された生暖かい液体は全て便器の中に吐き出されていた。
「尿」は、普段口にする食物と比べ明らかに強すぎる塩分濃度と、身体から排泄されるもの特有の臭い、そして、体温そのものを移した温度を持つ。それが身体の中に入れるべきものでないことを、人間の身体は記憶しているのだろう。反射的に発生する嘔吐感は、まぎれもなくそのことを証明している。
それから長い間、私は自分の尿での「飲尿トレーニング」を行うことは無かった。そして、「いわゆる聖水」とは言え、体液の一種である液体を口にすることは、お金を払って希望を叶えてもらえばよいと言うものではない。
以来、私は御主人様との主従を結ぶまで、私は一度も「尿」を口にしたことはなかったから、「コップに入れた無色透明な液体」を一気に喉の奥に流し入れた時の高揚感を、今言葉で表現するのはとても難しい。
喉の奥を「液体」が一息で通過し、胃の中に落ちていった。しかし、私の喉から嘔吐感は起きなかった。
それは目の前で、初めての行為を下僕が受け止めることができるかじっと見つめている御主人様の視線があったからかもしれない。あるいは、御主人様に恥をかかせたくないという私自身の決意のせいだったかもしれない。
いずれにせよ、私は「液体」を飲み干すことに成功し、私は下僕としての御主人様への想いを一つ、形にできたような高揚感で満たされることになった。
以後、数回、「ガラスのコップごし」の行為は続き、漏斗を介した直飲の段階へ進んだ。
仰向けで連続して吐出される暖かい液体は、確かに「人の体温」そのものであったけれど、自分の体温の液体を口にした時のような嘔吐感を感じることは無かった。次から次へと漏斗を伝って流入する液体は、全く口中を介することなしに直接喉に入れることでしか全てを受け止めることはできない。普段の生活ではあり得ない嚥下動作を繰り返すことが、「液体」を受け止めるための唯一の方法だった。
それは、ある意味では確かに御主人様が強いた行為なのかもしれない。けれど、私はまだそれが貴重な「液体」であることは理解していても、「聖水」とまで思い入れる意識はまだ持ちあわせていなかった。
失敗せずに「液体」を体内に入れる行為を成功させる度、私は自分の細胞一つ一つに、御主人様の身体を流れていた液体が吸収されることを思った。たとえ体内の水分が1サイクル入れかわっていたとしても、私の身体が御主人様自身と同化していることに変わりはない。
私の身体の中を流れているのは、私自身の血液と、御主人様の身体の中を流れた液体、その二つだけだ。それは私の誇りであり、ある意味でタトゥーよりも深く身体に刻まれた隷属の証なのだ。
私は自分の身体をこの先ずっと、穢そうとは思わない。
しかし、その「液体」が「聖水」になると同時に、今に至るまで想像したこともない戸惑いを覚えさせる作用を私の身体に与えることになった。
その8に続く・・・。
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