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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
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わたしの中の「男脳・女脳」
 職場にたまたま置いてあったいわゆる「OL向け」のフリーペーパーに「どうして男ってこうなの?」という記事を見かけた。

 題名を見た瞬間手にとってみたくなったが、この手の記事を男が読むのは「モテ男になる方法」みたいな本を書店で手に取るのと同じ類の格好悪さが漂うものなので、一人、最後まで部屋に残っていた日、読んでみた。
 結局のところ、左脳と右脳をつなぐ脳梁の太さが違うから物事の感じ方や行動パターンが違うのだ、といういつもの結論だった上、「女性も上司への報告は論理的にする方が効果的」という女性側が自省する方にやんわりと誘導されて結ばれていた。

 確かに、職場向けのフリーペーパーの記事においてはそれでいいのかもしれない。けれど、自分をさらけ出すほど深く混じり合った男女の間にそんな単純な結論など出せるはずもない。「軽い読み物」の題材で扱うには、はじめから難しすぎるのだろう。

 私のように「男性」と「女性」の間を漂った者にとって、男脳と女脳の「違い」を意識させられる機会は必ず何度か訪れているはずだ。恋愛における「男性的なモノ」と「女性的なモノ」。それはいろいろなところに横たわって姿を現しているものではないだろうか。

 例えば、相手の行動を促す時、「男脳」は、

「何がしたいのかはっきり言って、説明する」

ことを好む。して欲しいことがあるからやって欲しい(やらせたい)だから、して欲しいことをわからせたい・・・と思考回路が進んでいく。

 対して、「女脳」の時は、

「何がしたいか気づいてもらえるように行動する」

ことを好む。

 女装した時の私は、自分の身体をどのように触ってほしいのか、相手の男性にできるだけ直接伝えたくなかった。それは、何かを伝えればそれをその通りにやろうとする男性特有の考え方を知っているからだし、どこかで自分の想像の範囲を無理矢理超えさせられることを望んでいたからだと思う。

 しかし、相手の行動を自分の好きなようにコントロールできないということは即ち、自分が満足できるかどうかの大部分を相手にゆだねてしまうことになる。

 感じてもいない愛撫に感じたふりをするのも、愛撫の下手さに閉口し、他の男性と代わって欲しいと願いながらそれを行動には出せないのも、どちらかといえば「女脳」の影響だと思う。

 (だったら、言えばいいじゃないか。こんなことができるチャンスはそう多くないんだ、時間の無駄になる前に断れ)

 「男」の自分が、頭の中から訴えかける。

 (そんなことして相手が嫌な気持になったら面倒だし、このままでいれば、誰か他の人が加わってくれるかも・・・)

 「女」の自分が、それを行動に移すことを制止する。

 女装した時の私は、いつもこうして逡巡していた。

 育った環境も、もちろん個人的な経験によっても「脳」は多分に影響を受けるだろう。私が思うことと同じような感じ方をする人が何人いるかはわからないが、「自分」の中で「男脳」を使う時と「女脳」に近づく時の違いを意識している人はあまり多くないような気がする。

 そして、私が持つ「女脳」は、性別上の女性が持つ「本当の女脳」とは似ていても全く違うもので、だからこそ時々すれ違い、悩みを生み続ける。

 私は、一時「女」になりたかった「男」である。
そして、その気持ちはこれからも完全に封印することはきっとできず、この先も自分の中に存在し続けるはずだ。

 女になりたいと思う気持ちがある男。

 そういう自分を、御主人様の足下で傅く瞬間から、「男脳」で定着させることができたのはなぜか、未だにわかっていない。
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