さやかさんのblogで紹介されていたpaingateの新作プロモーションビデオを視聴してみたら、一つ、とても心に「刺さる」ものがあった。
【JUSTINE - YOUR CHRISTMAS PRESENT】
大きな蝋燭を両手で持ち、時に気高く、時に不安そうな表情で真っ赤なドレスをまとったブロンドの美人が、語りかけている。
「私は・・・今年のクリスマスプレゼントになりたい」
「私を選んだ彼は、恐ろしい痛みを、私の、全身に与えるでしょう」
「私はその痛みがとても・・・怖いのです・・・、鞭を身体に受けたことなど、ないから・・・」
【JUSTINE - YOUR CHRISTMAS PRESENT】
大きな蝋燭を両手で持ち、時に気高く、時に不安そうな表情で真っ赤なドレスをまとったブロンドの美人が、語りかけている。
「私は・・・今年のクリスマスプレゼントになりたい」
「私を選んだ彼は、恐ろしい痛みを、私の、全身に与えるでしょう」
「私はその痛みがとても・・・怖いのです・・・、鞭を身体に受けたことなど、ないから・・・」
自分が憧れた男性に、最高に着飾った美しい自分の身体を初めて鞭で打つためにクリスマスプレゼントとして捧げる・・・、考えただけで、ぞくぞくするシチュエーションである。
自分の身体をこれから撲ち、恐ろしい痛みを与える鞭を、両手に握りしめながら、ドレスを脱がされていく女性。
残念ながら、その後の言葉が、聞き取れない。
ビデオは、両手をまとめ、高く天井から吊られ、長い一本鞭で撲たれるシーンに移る。ここから先は、どう撲つか、そして、どう啼くか、男性の目で楽しめるのはそこしかない。かつて私も、鞭や蝋燭、スパンキングの責めシーンだけを抜き出したオムニバス形式のビデオを、手軽で安い自慰の道具にするために購入していた。「自慰の道具」として女性を見ている限り、そこで終わりなのだと思う。
確かに、彼女が鞭を受けながら見せる反応、悲鳴は、鞭を撲つ男性が鞭に込めた想いを身体で受けとめることで理解しようとするような、戸惑いと決意に溢れているように見える。他の誰でもない自分、一年の感謝を込めて、捧げた滲みも痣も傷も一つもない皮膚に、一つ、又一つと一本鞭の跡が刻み込まれ、そのたびに耐えきれない悲鳴を発し、やがて泣き崩れていく姿は、まさに被虐美そのものである。
私も、もしも一日でも女性の身体を与えてくれたなら、迷わずこの女性の代わりになってみたい、と想う気持を高ぶらせた。
でも、そこまでなら、ただの美しい映像、で終わるかもしれない。
一言、最後に彼女が発した言葉で、私は画面の中の美しい女性を、自分の姿に変えるきっかけを、得た。
「I hope, you enjoy my pain.」
……。想像が、一気に頭の中に走り、御主人様と自分の姿に置き換わった。
この女性のように正装して、御主人様の前で傅く。そんな男性が、私以外にも、もっと沢山、舞踏会で、一番美しい女性に群がる男性のように何人も何人も、連なっている。
私は、その中の一人。
正装…、男性ならモーニング、それともタキシードだろうか。否、そんな格好をしても、日本人の顔では、何かの式典に参加するようにしか見えないような気がする。
スーツがいい。
一番自分に合ったシェイプから、脂肪を増やさず、やつれて華奢になることもなく、厚みのある胸板を包むようにしっかりと身体に合ったスーツ姿で、片膝を着いて、御主人様の前で傅き、右手を差し出すのだ。
黙って、その右手を御主人様がとっていただければ、私は、何人もいる男性から、プレゼントとして選ばれたことになる。その誇りと悦びを全身にほとばらせながら、選ばれなかった男性たちの前で立ち上がり、一礼して御主人様と共にそこから退出する。
改めて一対一で傅き、右手に持たされた数メートルはある長い一本鞭の革の冷たい感触を、下半身の興奮と、上半身に巡る冷たい恐怖と共に握りしめる。
どんな笑顔で私を見つめてくださるだろうか。どうやって、私はスーツを脱がされ、タイを外され、シャツのボタンを外されるのだろうか。
襟を開けば、中から普段から肌身離さず身につけている首輪代わりのチョーカーが見えるはずだ。それを外し、隷属の印である黒い革首輪に取り替え、その後、私はどうなるだろうか…。
余計な衣服も、拘束具も縄も掛かっていない滲み一つない皮膚に、余すところ無く一本鞭の痛みを与えてほしい。啼き、身体を捩り、皮膚の表面からじりじりと身体を灼く痛みが痺れるような苦しさを与える間、私の頭の中は、鞭を振るう御主人様の姿と一年間の感謝で満たされていくことだろう。
やがて、耐えきれず涙を流し、失神してみたい。
目を覚ますと、倒れた私を満足そうに眺める視線が見えるはずだ。
一瞬で、そんな妄想をした。
自分の身体をこれから撲ち、恐ろしい痛みを与える鞭を、両手に握りしめながら、ドレスを脱がされていく女性。
残念ながら、その後の言葉が、聞き取れない。
ビデオは、両手をまとめ、高く天井から吊られ、長い一本鞭で撲たれるシーンに移る。ここから先は、どう撲つか、そして、どう啼くか、男性の目で楽しめるのはそこしかない。かつて私も、鞭や蝋燭、スパンキングの責めシーンだけを抜き出したオムニバス形式のビデオを、手軽で安い自慰の道具にするために購入していた。「自慰の道具」として女性を見ている限り、そこで終わりなのだと思う。
確かに、彼女が鞭を受けながら見せる反応、悲鳴は、鞭を撲つ男性が鞭に込めた想いを身体で受けとめることで理解しようとするような、戸惑いと決意に溢れているように見える。他の誰でもない自分、一年の感謝を込めて、捧げた滲みも痣も傷も一つもない皮膚に、一つ、又一つと一本鞭の跡が刻み込まれ、そのたびに耐えきれない悲鳴を発し、やがて泣き崩れていく姿は、まさに被虐美そのものである。
私も、もしも一日でも女性の身体を与えてくれたなら、迷わずこの女性の代わりになってみたい、と想う気持を高ぶらせた。
でも、そこまでなら、ただの美しい映像、で終わるかもしれない。
一言、最後に彼女が発した言葉で、私は画面の中の美しい女性を、自分の姿に変えるきっかけを、得た。
「I hope, you enjoy my pain.」
……。想像が、一気に頭の中に走り、御主人様と自分の姿に置き換わった。
この女性のように正装して、御主人様の前で傅く。そんな男性が、私以外にも、もっと沢山、舞踏会で、一番美しい女性に群がる男性のように何人も何人も、連なっている。
私は、その中の一人。
正装…、男性ならモーニング、それともタキシードだろうか。否、そんな格好をしても、日本人の顔では、何かの式典に参加するようにしか見えないような気がする。
スーツがいい。
一番自分に合ったシェイプから、脂肪を増やさず、やつれて華奢になることもなく、厚みのある胸板を包むようにしっかりと身体に合ったスーツ姿で、片膝を着いて、御主人様の前で傅き、右手を差し出すのだ。
黙って、その右手を御主人様がとっていただければ、私は、何人もいる男性から、プレゼントとして選ばれたことになる。その誇りと悦びを全身にほとばらせながら、選ばれなかった男性たちの前で立ち上がり、一礼して御主人様と共にそこから退出する。
改めて一対一で傅き、右手に持たされた数メートルはある長い一本鞭の革の冷たい感触を、下半身の興奮と、上半身に巡る冷たい恐怖と共に握りしめる。
どんな笑顔で私を見つめてくださるだろうか。どうやって、私はスーツを脱がされ、タイを外され、シャツのボタンを外されるのだろうか。
襟を開けば、中から普段から肌身離さず身につけている首輪代わりのチョーカーが見えるはずだ。それを外し、隷属の印である黒い革首輪に取り替え、その後、私はどうなるだろうか…。
余計な衣服も、拘束具も縄も掛かっていない滲み一つない皮膚に、余すところ無く一本鞭の痛みを与えてほしい。啼き、身体を捩り、皮膚の表面からじりじりと身体を灼く痛みが痺れるような苦しさを与える間、私の頭の中は、鞭を振るう御主人様の姿と一年間の感謝で満たされていくことだろう。
やがて、耐えきれず涙を流し、失神してみたい。
目を覚ますと、倒れた私を満足そうに眺める視線が見えるはずだ。
一瞬で、そんな妄想をした。
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