もともと、私がSMの世界の魅力から離れられなくなったきっかけは、蘭 光生氏の小説での「浣腸」の描写だった。
美しい女性に無理矢理浣腸をし、必ず訪れる崩壊の瞬間までの時間、排泄の苦悶と羞恥心にまみれて過ごす姿を楽しむ。その行為の描写に激しく昂ぶった感覚が、今でも私の身体の中でくすぶり続けているし、その昂ぶりは、やがてビデオの中の女性側の感情に向けられるようになっていった。
私が見たい、読んでみたい、と思うのは、「自分がその女優になってみたい」と思わせてくれる映像であり、画像であり、小説である。
美しい女性に無理矢理浣腸をし、必ず訪れる崩壊の瞬間までの時間、排泄の苦悶と羞恥心にまみれて過ごす姿を楽しむ。その行為の描写に激しく昂ぶった感覚が、今でも私の身体の中でくすぶり続けているし、その昂ぶりは、やがてビデオの中の女性側の感情に向けられるようになっていった。
私が見たい、読んでみたい、と思うのは、「自分がその女優になってみたい」と思わせてくれる映像であり、画像であり、小説である。
団 鬼六、結城 彩雨、蘭 光生・・・、彼らが浣腸を描写した小説の描く被虐美の世界は秀逸である。
それはきっと、浣腸がその「行為」から「崩壊」の結果までに一定のタイムラグを愉しむ行為であるがゆえに、その時間描写に過剰なまでの理由付けと、女性しか持ち得ない羞恥心を緻密に展開していこうとするからだろうと思う。
もうだめ、と屈服する寸前に、羞恥心を燃え上がらせ、さらに苦悶の世界に引き戻そうとするやりとりが、責められる女性の被虐美をより鮮やかに魅せてくれるのだ。
しかし、その反面、浣腸責めを扱ったビデオにはいいものが少ない。
それは、別の嗜好(いわゆるスカトロジーと言われる嗜好)を満足させようとする傾向があるためでもだろうし、「崩壊」の瞬間を収めようとするあまり、女性そのものまで汚物であるかのような扱いをしてしまっているものが多いことも理由の一つだと思う。
いずれも、「被虐美」を志向するのとは違うベクトルである。
「奈落の咆哮3」(アートビデオ)は、そうした意味で非常に「惜しい」一本だ。
100万円の借金を踏み倒し、妹と二人で線路沿いの安アパートで暮らす姉と妹の元に、金を貸した二人の男が訪れるシーンを、オムニバスの「魅せられた痴女図鑑 エネマの快楽8」で、見かけてから、姉役の「八神れい子」の美しさが忘れられなかった。
借金を踏み倒した復讐のため、妹の前で両手・両脚を枷で固定され、腹部に巻かれた麻縄で天井から吊られた姿勢のまま浣腸されて崩壊するシーンまでが「エネマの快楽8」に収められている。
「そのシーン」にはそれなりに満足だったが、私はそれ以前に彼女が追い詰められていく場面でみせた、陰りを帯びた表情の美しさに目を奪われ、本編全てを見てみたいと思っていた。
その作品が「奈落の咆哮3」であったことに気づいたのはつい最近のことである。
オムニバスに収録された場面と同じように、姉妹が住む部屋に、男2人が押し入り、踏み倒した借金のツケを要求する。妹役を庇うようにじりじりと後ずさりしながら、二人を交互に凝視する表情、艶のある黒髪、全身にしっかりと成熟した女の丸みを帯び、そして、白い肌に陰りのある表情・・・。
大人の女性の美しさを、八神れい子は完全に備えている。
その美しい表情を、借金を踏み倒し、逃げおおせて掴んだはずの日常から引きずり下ろす不安で曇らせ、身体を包んでいる衣服を少しずつ引きはがしながら苦しみで悶えさせてみたい。彼女なら、きっと大人の女性しか持っていない美しさで、それを表現してくれるはずだった。
しかし、ビデオでは、いきなり次のシーンで姉妹共に全裸にされ、縛られたシーンに展開してしまう。
確かに、「姉」をバイブレーターで責めながら、その目前で「妹」を別の男が犯すシチュエーションは、陵辱的ではある。しかし、彼女なら犯される妹の前で、自分の衣服は脱がされずにその行為を見せつけ、逃げた責任を全身に染みこませることで、もっと切なく翳った表情を見せてくれただろうに、と思うと残念でならない。
クライマックスの浣腸シーンでも、なぜか口枷をされ、「見ないで」と哀願する声を聴くことができない。
浣腸された後、お腹痛い、させてください、を連発する女優もいる。苦しいから当然だけれど、「演技」でお金をもらっているなら、「見られたくない羞恥心」でその苦しさを隠せなければ意味がない。
八神れい子なら、きっともっと美しく撮れただろうに・・・と思わされずにいられない残念な使い方である。
彼女はそれ以降、特に別のビデオに出演していないようだ。彼女なら「名作」が撮れるのに、ととても惜しく思う。
追記
レイプや強制猥褻行為は明白な犯罪です。
現実社会で女性に性的な危害をくわえる行為に対しては断固とした厳罰を与えるべきと考えています。今回のエントリーはあくまでも「作品」としての感想であり、現実に起きた性犯罪を正当化する意図はありません。
それはきっと、浣腸がその「行為」から「崩壊」の結果までに一定のタイムラグを愉しむ行為であるがゆえに、その時間描写に過剰なまでの理由付けと、女性しか持ち得ない羞恥心を緻密に展開していこうとするからだろうと思う。
もうだめ、と屈服する寸前に、羞恥心を燃え上がらせ、さらに苦悶の世界に引き戻そうとするやりとりが、責められる女性の被虐美をより鮮やかに魅せてくれるのだ。
しかし、その反面、浣腸責めを扱ったビデオにはいいものが少ない。
それは、別の嗜好(いわゆるスカトロジーと言われる嗜好)を満足させようとする傾向があるためでもだろうし、「崩壊」の瞬間を収めようとするあまり、女性そのものまで汚物であるかのような扱いをしてしまっているものが多いことも理由の一つだと思う。
いずれも、「被虐美」を志向するのとは違うベクトルである。
「奈落の咆哮3」(アートビデオ)は、そうした意味で非常に「惜しい」一本だ。
100万円の借金を踏み倒し、妹と二人で線路沿いの安アパートで暮らす姉と妹の元に、金を貸した二人の男が訪れるシーンを、オムニバスの「魅せられた痴女図鑑 エネマの快楽8」で、見かけてから、姉役の「八神れい子」の美しさが忘れられなかった。
借金を踏み倒した復讐のため、妹の前で両手・両脚を枷で固定され、腹部に巻かれた麻縄で天井から吊られた姿勢のまま浣腸されて崩壊するシーンまでが「エネマの快楽8」に収められている。
「そのシーン」にはそれなりに満足だったが、私はそれ以前に彼女が追い詰められていく場面でみせた、陰りを帯びた表情の美しさに目を奪われ、本編全てを見てみたいと思っていた。
その作品が「奈落の咆哮3」であったことに気づいたのはつい最近のことである。
オムニバスに収録された場面と同じように、姉妹が住む部屋に、男2人が押し入り、踏み倒した借金のツケを要求する。妹役を庇うようにじりじりと後ずさりしながら、二人を交互に凝視する表情、艶のある黒髪、全身にしっかりと成熟した女の丸みを帯び、そして、白い肌に陰りのある表情・・・。
大人の女性の美しさを、八神れい子は完全に備えている。
その美しい表情を、借金を踏み倒し、逃げおおせて掴んだはずの日常から引きずり下ろす不安で曇らせ、身体を包んでいる衣服を少しずつ引きはがしながら苦しみで悶えさせてみたい。彼女なら、きっと大人の女性しか持っていない美しさで、それを表現してくれるはずだった。
しかし、ビデオでは、いきなり次のシーンで姉妹共に全裸にされ、縛られたシーンに展開してしまう。
確かに、「姉」をバイブレーターで責めながら、その目前で「妹」を別の男が犯すシチュエーションは、陵辱的ではある。しかし、彼女なら犯される妹の前で、自分の衣服は脱がされずにその行為を見せつけ、逃げた責任を全身に染みこませることで、もっと切なく翳った表情を見せてくれただろうに、と思うと残念でならない。
クライマックスの浣腸シーンでも、なぜか口枷をされ、「見ないで」と哀願する声を聴くことができない。
浣腸された後、お腹痛い、させてください、を連発する女優もいる。苦しいから当然だけれど、「演技」でお金をもらっているなら、「見られたくない羞恥心」でその苦しさを隠せなければ意味がない。
八神れい子なら、きっともっと美しく撮れただろうに・・・と思わされずにいられない残念な使い方である。
彼女はそれ以降、特に別のビデオに出演していないようだ。彼女なら「名作」が撮れるのに、ととても惜しく思う。
追記
レイプや強制猥褻行為は明白な犯罪です。
現実社会で女性に性的な危害をくわえる行為に対しては断固とした厳罰を与えるべきと考えています。今回のエントリーはあくまでも「作品」としての感想であり、現実に起きた性犯罪を正当化する意図はありません。
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