Mにとって、主の元に自分以外のMがいることを認められるか否かは、きっと主への隷属心が強くなればなるほど大きな課題になっていくのだろうと思う。
「御前だけを奴隷と認める」
実際に御主人様がそう口にする度、私は最大限の感謝の気持ちと幸福感と共に、その言葉を聞くために努力し、他の奴隷候補と実際に競争したい、という欲を感じる。
御主人様は他の奴隷を持っていないはず、私で満足していないはずはない、という自負心は、実は慢心と紙一重だ。
「御前だけを奴隷と認める」
実際に御主人様がそう口にする度、私は最大限の感謝の気持ちと幸福感と共に、その言葉を聞くために努力し、他の奴隷候補と実際に競争したい、という欲を感じる。
御主人様は他の奴隷を持っていないはず、私で満足していないはずはない、という自負心は、実は慢心と紙一重だ。
御主人様と私の間には、決して越えられない「上下」の壁がある。それは、例えば責めの後のSEXでいくら「男」としてその行為をリードする瞬間があるにせよ、決して変わることがない厳然とした壁であるはずだと思う。
しかし、男という生き物は、与えられた環境、与えられた条件、そして、得られたものに対して、すぐにそれが当たり前のものと錯覚するものだ。
私は、「世間一般の男性」よりは、そうした錯覚を感じるまでの時間が長いかもしれない。それは今まで自分に好意を抱いてくれた人々が感じてくれた反応から得た感想である。しかし、決して錯覚を起こさないと言い切る決心を、未だ私はできない。
それは、例えば一生の愛を誓った女性に、日々の幸福を与えてもらいながら、他の女性を主と定めた奴隷としての自分を求めずに生きていけないことで既に証明されている。
【私は、きっと慢心して、そして大切な何かを失うだろう】
御主人様の奴隷でいること、即ちそれは、そんな恐怖と逃げずに向き合う時間を一秒ずつ延ばしていくことである。
そして、その恐怖は、御主人様に向かって感じる恐怖でも、ある。
お金、あるいは他の何かを介在させて自分の欲望を叶えてくれる存在を、主とは呼ばないだろう。そして、主の奴隷であるという存在意義は、主にとっての存在価値が無くなった瞬間に消えてしまうものだ。
私は、御主人様にとって、誰にも負けないMでありたい。今はきっとそうだ、という気持ちと同じくらい、御主人様にそれを明確に示したい、という欲求があるのかもしれない。
背中合わせに両手をまとめて天井高く吊られた2人の女性を同時に責める映像を見る度、私は自分の姿をそこに投影し、背中越しにもう一人のM男性を想像する。
「彼」もまた、御主人様の奴隷であることを望み、そして、与えられた痛みと苦悶を、私に勝つために体内に受けとめ続けていくだろう。その背中に発せられた玉のような汗は、鞭を受けるたびにのけぞって私の背中に擦りつけられる。
次に私を撲っていただくまで、私はその声と、次第に熱を帯びながら汗に濡れていく「彼」の身体を肌で受けとめながら過ごさなければならない。
自分は彼ほど耐えられないかもしれない、自分が先に音を上げてしまうかもしれない、そんな不安に晒されながら、私は「彼」より長い時間、一つでも多い鞭を受けることを心に決め、そして、泣き叫ぶだろう。
決して誰にも負けたくない。
鞭を受け続けながら、その一心で涙を流して泣き喚きたい。
妄想にかられ、自らを慰めている。
しかし、男という生き物は、与えられた環境、与えられた条件、そして、得られたものに対して、すぐにそれが当たり前のものと錯覚するものだ。
私は、「世間一般の男性」よりは、そうした錯覚を感じるまでの時間が長いかもしれない。それは今まで自分に好意を抱いてくれた人々が感じてくれた反応から得た感想である。しかし、決して錯覚を起こさないと言い切る決心を、未だ私はできない。
それは、例えば一生の愛を誓った女性に、日々の幸福を与えてもらいながら、他の女性を主と定めた奴隷としての自分を求めずに生きていけないことで既に証明されている。
【私は、きっと慢心して、そして大切な何かを失うだろう】
御主人様の奴隷でいること、即ちそれは、そんな恐怖と逃げずに向き合う時間を一秒ずつ延ばしていくことである。
そして、その恐怖は、御主人様に向かって感じる恐怖でも、ある。
お金、あるいは他の何かを介在させて自分の欲望を叶えてくれる存在を、主とは呼ばないだろう。そして、主の奴隷であるという存在意義は、主にとっての存在価値が無くなった瞬間に消えてしまうものだ。
私は、御主人様にとって、誰にも負けないMでありたい。今はきっとそうだ、という気持ちと同じくらい、御主人様にそれを明確に示したい、という欲求があるのかもしれない。
背中合わせに両手をまとめて天井高く吊られた2人の女性を同時に責める映像を見る度、私は自分の姿をそこに投影し、背中越しにもう一人のM男性を想像する。
「彼」もまた、御主人様の奴隷であることを望み、そして、与えられた痛みと苦悶を、私に勝つために体内に受けとめ続けていくだろう。その背中に発せられた玉のような汗は、鞭を受けるたびにのけぞって私の背中に擦りつけられる。
次に私を撲っていただくまで、私はその声と、次第に熱を帯びながら汗に濡れていく「彼」の身体を肌で受けとめながら過ごさなければならない。
自分は彼ほど耐えられないかもしれない、自分が先に音を上げてしまうかもしれない、そんな不安に晒されながら、私は「彼」より長い時間、一つでも多い鞭を受けることを心に決め、そして、泣き叫ぶだろう。
決して誰にも負けたくない。
鞭を受け続けながら、その一心で涙を流して泣き喚きたい。
妄想にかられ、自らを慰めている。
| ホーム |