その映画館が一番にぎわうのは、土曜日だった。同好の「女」が多ければ、それを目当てに集まる男性も増え、私が望む「複数の男性に弄ばれる快楽」を味わうチャンスも増える。
テレビ番組もレストランもデパートも、「女性」を惹きつけることができた者が勝者となる構図は同じだ。普段は男として生きているからこそ、自分が男性を惹きつける撒き餌になることを私は望んだ。
その日、私はこの映画館に通い始めて、もう大分たったように感じていた。
回数にすればわずか5回。常連と呼ばれる人々に比べれば、次々に現れる「新しい子」の一人でしか無かったのに、私は、たった数回の経験だけで、この映画館で起きる出来事の大半を悟ってしまったような気になっていた。
それが間違いであったことを心の底から知ることになるその日までは・・・。
テレビ番組もレストランもデパートも、「女性」を惹きつけることができた者が勝者となる構図は同じだ。普段は男として生きているからこそ、自分が男性を惹きつける撒き餌になることを私は望んだ。
その日、私はこの映画館に通い始めて、もう大分たったように感じていた。
回数にすればわずか5回。常連と呼ばれる人々に比べれば、次々に現れる「新しい子」の一人でしか無かったのに、私は、たった数回の経験だけで、この映画館で起きる出来事の大半を悟ってしまったような気になっていた。
それが間違いであったことを心の底から知ることになるその日までは・・・。
オレンジのリブ編みのニットと白のタイトスカート。少し早すぎたかもしれないミュールと、足首のアンクレットとゴールドのチェーンのついた細身のベルトをリュックに詰め、私は映画館に向かって歩いていた。地下鉄から地上に出た瞬間、春の明るい日射しが、私の全身を照らす。
そんな日射しが、私の理性が押しとどめている黒い欲求を放出させる力になったのかもしれない。その時、私はどうしても、女性の姿で公園を歩いてみたくなった。
今までは毎回、映画館の中のトイレで着替えていた。それは自分の容姿に自信が無かったせいでもあったが、一番の理由は、映画館近くの公園には「先達」の縄張りがあり、私たち若いだけの新参者がそのルールう乱すことを快く思わない人々がいることを知っていたからだった。
私は、自分の身体と金銭を絡めることを望まなかったし、面倒なことに巻き込まれることが怖かった。自分の容姿を考えれば、女装を映画館の中だけで完結すること、それがどうひいき目にみても守るべき一線であったことは間違いない。
人は弱い生き物だと思う。
自他共に認める慎重な性格も、自分の安全意識と倫理規範も、「日の光が暖かかったから」などというたわいもない理由によって、意味を持たなくなることがある。魔が差す、そんな瞬間である。
私は映画館には向かわず、公園のトイレに駆け込んだ。春にしては強い日射しが、トイレの中の空気を熱し、お世辞にも綺麗とは言えないトイレの中は、まるで私の心の中のように、熱気に満ちていた。
私は、この明るい日射しに自分の身体を差し出す昂奮に息を弾ませながら、ジーンズを脱ぎ、薄いベージュのストッキング姿になると、タイトスカートに身体を滑り込ませる。
ブラジャーの線を目立たなくさせるための、鹿の子生地ポロシャツを脱ぐと、背中と胸元にうっすらと汗が滲んでいる。
ウェットティッシュでそれを清め、もう一度、膝の裏側と耳たぶの後ろに、「Happy」の香りをまとった。公園に設置された男性用の公衆トイレには似つかわしくない甘い香りが、身体を包んだ。
着替えを終えると、そっとドアの隙間から周囲を見渡す。花見の時期は終わっていたものの、公園には結構人が多い。数分、タイミングを計った後、意を決して、ノブに手を掛け、公園に出る。男性用トイレから女性の姿が現れる奇異な光景だったはずなのに、周囲の人々からは何の反応もないのが少し不思議だった。
そのまま、映画館に向かって歩く。ミュールのヒールで慎重にアスファルトの上を歩くと、ヒールの音が、私の気持ちをまた昂ぶらせた。
(私、今、女性の格好をして、外を歩いてる・・・!)
若さ故の暴走だったとしか思えない。
時折、すれ違う人が自分をちらっと見て顔をそむけたように感じた。後で考えれば、この辺りでは特に珍しい光景では無かったのかもしれないけれど、私は、「見られる」こと自体が新鮮で、自分の存在感を、実態以上に意識させられていた。
映画館の周りを散歩してから、と思っていたけれど、見られる緊張にはとても耐えられず、私はほんの5分ほど歩いただけで、映画館のある建物へと、足取りを速めて近づいていった。
これまでは、建物の2階にある映画館に通っていた。同じ建物の地下1階の映画館は、「男性好きの男性」の集まるところとして有名な映画館である。2階で男性達に可愛がられることに慣れた私は、一度くらい、地下の映画館の様子を見てみたくなった。
(私がして欲しいこと、ここでなら・・・)
初めて映画館で遊んだ日からエスカレートの一途をたどる私の被虐妄想。暗がりで複数の男性によってたかって穢される妄想を現実にすることができるかもしれない。
そう思うと、ここまで来て理性を働かせることはできなくなった。混雑が酷く、荷物を取られることが多いことは聞いていたので、近くのコインロッカーに荷物を預け、小銭だけをポケットに入れ、私は階段を降りて「地下の映画館」に向かった。
そんな日射しが、私の理性が押しとどめている黒い欲求を放出させる力になったのかもしれない。その時、私はどうしても、女性の姿で公園を歩いてみたくなった。
今までは毎回、映画館の中のトイレで着替えていた。それは自分の容姿に自信が無かったせいでもあったが、一番の理由は、映画館近くの公園には「先達」の縄張りがあり、私たち若いだけの新参者がそのルールう乱すことを快く思わない人々がいることを知っていたからだった。
私は、自分の身体と金銭を絡めることを望まなかったし、面倒なことに巻き込まれることが怖かった。自分の容姿を考えれば、女装を映画館の中だけで完結すること、それがどうひいき目にみても守るべき一線であったことは間違いない。
人は弱い生き物だと思う。
自他共に認める慎重な性格も、自分の安全意識と倫理規範も、「日の光が暖かかったから」などというたわいもない理由によって、意味を持たなくなることがある。魔が差す、そんな瞬間である。
私は映画館には向かわず、公園のトイレに駆け込んだ。春にしては強い日射しが、トイレの中の空気を熱し、お世辞にも綺麗とは言えないトイレの中は、まるで私の心の中のように、熱気に満ちていた。
私は、この明るい日射しに自分の身体を差し出す昂奮に息を弾ませながら、ジーンズを脱ぎ、薄いベージュのストッキング姿になると、タイトスカートに身体を滑り込ませる。
ブラジャーの線を目立たなくさせるための、鹿の子生地ポロシャツを脱ぐと、背中と胸元にうっすらと汗が滲んでいる。
ウェットティッシュでそれを清め、もう一度、膝の裏側と耳たぶの後ろに、「Happy」の香りをまとった。公園に設置された男性用の公衆トイレには似つかわしくない甘い香りが、身体を包んだ。
着替えを終えると、そっとドアの隙間から周囲を見渡す。花見の時期は終わっていたものの、公園には結構人が多い。数分、タイミングを計った後、意を決して、ノブに手を掛け、公園に出る。男性用トイレから女性の姿が現れる奇異な光景だったはずなのに、周囲の人々からは何の反応もないのが少し不思議だった。
そのまま、映画館に向かって歩く。ミュールのヒールで慎重にアスファルトの上を歩くと、ヒールの音が、私の気持ちをまた昂ぶらせた。
(私、今、女性の格好をして、外を歩いてる・・・!)
若さ故の暴走だったとしか思えない。
時折、すれ違う人が自分をちらっと見て顔をそむけたように感じた。後で考えれば、この辺りでは特に珍しい光景では無かったのかもしれないけれど、私は、「見られる」こと自体が新鮮で、自分の存在感を、実態以上に意識させられていた。
映画館の周りを散歩してから、と思っていたけれど、見られる緊張にはとても耐えられず、私はほんの5分ほど歩いただけで、映画館のある建物へと、足取りを速めて近づいていった。
これまでは、建物の2階にある映画館に通っていた。同じ建物の地下1階の映画館は、「男性好きの男性」の集まるところとして有名な映画館である。2階で男性達に可愛がられることに慣れた私は、一度くらい、地下の映画館の様子を見てみたくなった。
(私がして欲しいこと、ここでなら・・・)
初めて映画館で遊んだ日からエスカレートの一途をたどる私の被虐妄想。暗がりで複数の男性によってたかって穢される妄想を現実にすることができるかもしれない。
そう思うと、ここまで来て理性を働かせることはできなくなった。混雑が酷く、荷物を取られることが多いことは聞いていたので、近くのコインロッカーに荷物を預け、小銭だけをポケットに入れ、私は階段を降りて「地下の映画館」に向かった。
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