黄色と紫が入り交じった花束やアレンジメントや花壇を見ると、いつも、その光景を思い出す。
黄色の文字を使った人が3~5名、紫色の文字の人が、3~5名、毎晩のように「仮面舞踏会」に集っていた。
そこは登録制で、会員はIDとパスワードで管理されていたけれど、一度ログインした後は、多少ハンドルネームを修正することができたように思う。
大抵の会員は、ずっと同じハンドルネームを使っていた。Sは黄色、Mは紫色で表示され、【♂・♀】の記号で性別が分かるようになっていたから、始めて入室した人でも、そこにどのような嗜好の人々がいるのかはすぐに把握できた。
会話をしている人々の中に、「黄色い文字の女性」は、最初、一人しかいなかった。
【Sの、女性だ・・・。】
黄色の文字を使った人が3~5名、紫色の文字の人が、3~5名、毎晩のように「仮面舞踏会」に集っていた。
そこは登録制で、会員はIDとパスワードで管理されていたけれど、一度ログインした後は、多少ハンドルネームを修正することができたように思う。
大抵の会員は、ずっと同じハンドルネームを使っていた。Sは黄色、Mは紫色で表示され、【♂・♀】の記号で性別が分かるようになっていたから、始めて入室した人でも、そこにどのような嗜好の人々がいるのかはすぐに把握できた。
会話をしている人々の中に、「黄色い文字の女性」は、最初、一人しかいなかった。
【Sの、女性だ・・・。】
自らSであることを明かして人々と会話をする女性、その人がどんな会話をするのか、M男性に何を望んでいるのか、プレイの経験はどれだけあるのか、自分は、Mと言えるのか・・・?
私はそれを「S女性」に訊いてみたかった。
そこに「S女性」が一人しかいなかったのだから、対象が彼女に絞られたことは当然のことだったかもしれない。しかし、「彼女」が正真正銘のS女性だったことが、私にとって最大の幸運だった。
「彼女」と会話がしたい一心で、昼夜を問わず、一人でいるときの時間のほとんど全てを使い、何度も何度もそこにログインし、「彼女」の名前を探した。
彼女と話しをするための機会を、私はその時期、他の誰よりも強く求めていたと思う。時折「彼女」以外のS女性が入室することもあったけれど、私は「彼女」以外には執着心を持つことは無かった。
「彼女」の持つ、プロのS女性としての経験が群を抜いていることは、最初に会話をしただけで分かったし、プレイ以外の時に、S女性はどんな空気を周囲に対して発するのか、「彼女」がいなければ、ずっと後まで私は誤解し続けたままだったと思う。
身体にも現実世界の生活に対しても、一番自由が効く時期だったから、私の生活は完全に【仮面舞踏会】中心になり、半ばストーカーのように、「彼女」の名前を探し続けた。
間を開けずに通ったことと、当時そこに集まっていた人々の中では、私は一番若く、チャットに慣れていたこともあり、すぐに常連達の記憶に残ることになった。
会員の中に、S男性とM女性は何人もいたが、M男性は少なかったし、S女性はもっと少なかった。(もっとも、今になって思えば、S男性を名乗っていた男性の多くが、Mだったとは思うけれど・・・。)
男性の方が女性よりも圧倒的に多く、自分勝手で周囲と調和できない人も多かったことは、今と全く変わらない。けれど、その時点ではまだ、誰もがインターネットを使う状況では無かったから、参加者は仕事でコンピューターに親しんでいる人、個人で数十万円を使って自宅でインターネットを使える人に限られていた。
そして、そのことが、「仮面舞踏会」を、今では考えられないほどSMの嗜好に対して「熱心」な人だけが集まる空間にしていたように思う。
「彼女」に最初に出会えた幸運は、その後、長い間私の「心の枷」をとなり、時には私を苦しめたけれど、私はその幸運と苦しみの両方を与えてくれた「彼女」のことを、決して忘れない。
「彼女」が今の私を見たら、どんな言葉をかけて下さるだろうか。知りたいような気もするし、聞かないまま心に閉じこめておきたいとも思う。
まだ、誰にも責められたことのない妄想だけのM男性だった私が、自分の嗜好を表に出して人と接したのはそれが初めてだった。「当時」が「今」なら、私は「彼女」に出会うことは無かっただろう。
人との出会いはすべからくそういうものなのかもしれない。
一期一会。
誠心誠意、心を込めて一人を求めよう。
「彼女」がそれがMとして正しい生き方であることを教えてくれた。今でも、そう信じている。
私はそれを「S女性」に訊いてみたかった。
そこに「S女性」が一人しかいなかったのだから、対象が彼女に絞られたことは当然のことだったかもしれない。しかし、「彼女」が正真正銘のS女性だったことが、私にとって最大の幸運だった。
「彼女」と会話がしたい一心で、昼夜を問わず、一人でいるときの時間のほとんど全てを使い、何度も何度もそこにログインし、「彼女」の名前を探した。
彼女と話しをするための機会を、私はその時期、他の誰よりも強く求めていたと思う。時折「彼女」以外のS女性が入室することもあったけれど、私は「彼女」以外には執着心を持つことは無かった。
「彼女」の持つ、プロのS女性としての経験が群を抜いていることは、最初に会話をしただけで分かったし、プレイ以外の時に、S女性はどんな空気を周囲に対して発するのか、「彼女」がいなければ、ずっと後まで私は誤解し続けたままだったと思う。
身体にも現実世界の生活に対しても、一番自由が効く時期だったから、私の生活は完全に【仮面舞踏会】中心になり、半ばストーカーのように、「彼女」の名前を探し続けた。
間を開けずに通ったことと、当時そこに集まっていた人々の中では、私は一番若く、チャットに慣れていたこともあり、すぐに常連達の記憶に残ることになった。
会員の中に、S男性とM女性は何人もいたが、M男性は少なかったし、S女性はもっと少なかった。(もっとも、今になって思えば、S男性を名乗っていた男性の多くが、Mだったとは思うけれど・・・。)
男性の方が女性よりも圧倒的に多く、自分勝手で周囲と調和できない人も多かったことは、今と全く変わらない。けれど、その時点ではまだ、誰もがインターネットを使う状況では無かったから、参加者は仕事でコンピューターに親しんでいる人、個人で数十万円を使って自宅でインターネットを使える人に限られていた。
そして、そのことが、「仮面舞踏会」を、今では考えられないほどSMの嗜好に対して「熱心」な人だけが集まる空間にしていたように思う。
「彼女」に最初に出会えた幸運は、その後、長い間私の「心の枷」をとなり、時には私を苦しめたけれど、私はその幸運と苦しみの両方を与えてくれた「彼女」のことを、決して忘れない。
「彼女」が今の私を見たら、どんな言葉をかけて下さるだろうか。知りたいような気もするし、聞かないまま心に閉じこめておきたいとも思う。
まだ、誰にも責められたことのない妄想だけのM男性だった私が、自分の嗜好を表に出して人と接したのはそれが初めてだった。「当時」が「今」なら、私は「彼女」に出会うことは無かっただろう。
人との出会いはすべからくそういうものなのかもしれない。
一期一会。
誠心誠意、心を込めて一人を求めよう。
「彼女」がそれがMとして正しい生き方であることを教えてくれた。今でも、そう信じている。
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