「仮面舞踏会」が無くなってから、私は自分の心の中のM衝動の行き場を探すため、またSMチャットルームのあるサイトを探すようになった。
チャットのCGIスクリプトを自分のホームページスペースで動かすこと自体は既に難しいことではなく、それを許すプロバイダと契約している人であれば割にたやすく「場」としてのチャットルームを提供することはできるようになっていた。
日に日にそうしたサイトが増えつつあったように思う。そのいくつかに入室してみた。
「仮面舞踏会」では常連として、人となりを理解されていた私も、初めて入室する部屋では当然、誰にも知られていない一人のM男性でしかない。
ネット上に「S男性」は多く「S女性」は極端に少ない。
一見の、しかもM男性が、参加自由なオープンチャットでできることはほとんど無かった。望む相手であるS女性がその場にいることなど、滅多に無い。「見学」と称する男性たちは、時折M女性が入室した瞬間、「S男性」に名前を変えて殺到する。
繰り広げられるM女争奪戦の邪魔をしないよう、私は自分がMであるという記号のみを示すためだけに何時間も待機し続けた。
何も、得ることはできなかった。
チャットのCGIスクリプトを自分のホームページスペースで動かすこと自体は既に難しいことではなく、それを許すプロバイダと契約している人であれば割にたやすく「場」としてのチャットルームを提供することはできるようになっていた。
日に日にそうしたサイトが増えつつあったように思う。そのいくつかに入室してみた。
「仮面舞踏会」では常連として、人となりを理解されていた私も、初めて入室する部屋では当然、誰にも知られていない一人のM男性でしかない。
ネット上に「S男性」は多く「S女性」は極端に少ない。
一見の、しかもM男性が、参加自由なオープンチャットでできることはほとんど無かった。望む相手であるS女性がその場にいることなど、滅多に無い。「見学」と称する男性たちは、時折M女性が入室した瞬間、「S男性」に名前を変えて殺到する。
繰り広げられるM女争奪戦の邪魔をしないよう、私は自分がMであるという記号のみを示すためだけに何時間も待機し続けた。
何も、得ることはできなかった。
以前の「SMツーショットダイヤル」と同じことが、SMチャット上でも起き始めていたのかもしれない。
あまりにも「S女性」の割合が少なかったことが、「M男性」たちの過剰な売り込み合戦を導き、いつでも、いくらでも代わりのM男性が現れることが、まるでSの素養もない女性の勘違いを助長し始めていた。
「初めまして」
「何が好きなの?」
「ふうん、で、経験は?」
「どこまでできる?」
大抵、会話はこの程度で終わってしまう。
会話の主が、S女性なのか、もっと言えば、女性だったのかすら定かではなかったけれど、我々にとって、それを疑うことは、蜘蛛の糸のように細いチャンスを失うことを意味した。
少ない経験を、針小棒大に語った。
できもしないことを、「興味がある」と偽り、「S女性と会話を交わす」ことにカタルシスを感じた。
何回かに一度、実際に会ってみる寸前まで、話しが進み、そこで逃げるように「退出」ボタンを押した。
何一つ、次の世界への扉を開けることはなく、無為に「S女性」とのすれ違いだけを楽しんでいたのかもしれない。そして、それは我々M男性だけでなく、S女性の側でも、そうだったかもしれない。
自分の嗜好を受け止める「誰か」はこの世の中に存在しているのか。自分が思うこと、考えることは、正しいSMなのか、そして、それは、実現出来ることなのか・・・。
Sの側もMの側も、実際は同じような思いを持ちながら、Sを騙る者、Mを騙る者が入り乱れた空間では、その思いが交わるチャンスを得ることは奇跡に近いことだったかもしれない。
Sの嗜好を持つ女性と、偶然にチャットで出会うことをあきらめかけていた頃、私はNetMeetingという新しい「道具」を見つける。
あまりにも「S女性」の割合が少なかったことが、「M男性」たちの過剰な売り込み合戦を導き、いつでも、いくらでも代わりのM男性が現れることが、まるでSの素養もない女性の勘違いを助長し始めていた。
「初めまして」
「何が好きなの?」
「ふうん、で、経験は?」
「どこまでできる?」
大抵、会話はこの程度で終わってしまう。
会話の主が、S女性なのか、もっと言えば、女性だったのかすら定かではなかったけれど、我々にとって、それを疑うことは、蜘蛛の糸のように細いチャンスを失うことを意味した。
少ない経験を、針小棒大に語った。
できもしないことを、「興味がある」と偽り、「S女性と会話を交わす」ことにカタルシスを感じた。
何回かに一度、実際に会ってみる寸前まで、話しが進み、そこで逃げるように「退出」ボタンを押した。
何一つ、次の世界への扉を開けることはなく、無為に「S女性」とのすれ違いだけを楽しんでいたのかもしれない。そして、それは我々M男性だけでなく、S女性の側でも、そうだったかもしれない。
自分の嗜好を受け止める「誰か」はこの世の中に存在しているのか。自分が思うこと、考えることは、正しいSMなのか、そして、それは、実現出来ることなのか・・・。
Sの側もMの側も、実際は同じような思いを持ちながら、Sを騙る者、Mを騙る者が入り乱れた空間では、その思いが交わるチャンスを得ることは奇跡に近いことだったかもしれない。
Sの嗜好を持つ女性と、偶然にチャットで出会うことをあきらめかけていた頃、私はNetMeetingという新しい「道具」を見つける。
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