ファンデーション、口紅、マスカラ、ブラジャー、ショーツ、パンティストッキング、ウイッグ、そうして、女性ものの洋服。
初めて自分を「女」にした瞬間に至るまでの数日間を、今でも忘れたことはない。
心の中で自制していた一線を越える「瞬間」は、まさに一瞬でしかない。
「その場の勢い」で一線を越えてしまうこともあれば、境界線のほんの少し手前を乗り越えるのに、気の遠くなるような時間がかかる時もある。
私の場合は、そのちょうど中間だったように思う。
憧れていた期間は、本当は割に長い期間だったかもしれない。初めて蘭 光生の作品を手にした時から数えれば、既に5年以上が経過していたのだから。
初めて自分を「女」にした瞬間に至るまでの数日間を、今でも忘れたことはない。
心の中で自制していた一線を越える「瞬間」は、まさに一瞬でしかない。
「その場の勢い」で一線を越えてしまうこともあれば、境界線のほんの少し手前を乗り越えるのに、気の遠くなるような時間がかかる時もある。
私の場合は、そのちょうど中間だったように思う。
憧れていた期間は、本当は割に長い期間だったかもしれない。初めて蘭 光生の作品を手にした時から数えれば、既に5年以上が経過していたのだから。
SMを題材にした、ホンモノの官能小説に初めて出会い、全身が痺れ、後頭部が膨張しそうなほど熱い性衝動を感じたあの日、私は、自分をヒロインに投影していたことは間違いがない。なのに、長い間、私はそのことを認識しながら認めなかった。
テレビに出てくる「女性の姿をしている男性」を、「オカマ」から「ニューハーフ」に変わりはじめた頃で、そうした性癖を持つ人が、決して少なくないことを誰もが認識し始めた頃だった。けれど、私は男性が「まともな女性」の姿になれるはずがない、と思っていたし、ましてや、高校生の頃から自分の濃すぎる髭に悩んでいた私が、女性に見えるはずがない、と信じて疑わなかった。
「女性に見えない女装」ほど醜い姿はない。
そう思っていた私の「境界線」を越えさせたのは、Netmeeting越しに繋がったS女性との距離を何とかして縮めたい、と思う衝動であり、「顔」によって私を特定されたくない、という防衛本能だった。
「顔」という識別符号を無くしたことで、私は自分の求める性衝動を躊躇なく発露する機会を得、同時に、「女装している自分」という別の人格を持ってSMにまつわる世界を泳いでいくことができることを認識することになる。
最初に、化粧品を近所のドラッグストアに買いに行った。
今になってやっと、男性が化粧品を買うことは「奇異」とまでは言われなくなったけれど、当時は生理用品と同じく、化粧品を売っているコーナーに男性が立ち止まっていることすら不自然だった。
(同棲している彼女が、自分が使う化粧品を切らしてしまい、代わりに買いにきてあげたんだ・・・)
実際はほぼありえない言い訳を必死に絞り出し、化粧品のコーナーの前で、メモを見る振りをしながら、極力安くてリーズナブルで、普段使いの化粧品を選ぼうとした。その方が、いかにもありそうだと、自分に言い聞かせていた。
「ソフィーナ」のリキッドファンデーションが目に留まり、3種類の中から一番白に近いものを素早くかごに入れ、続いて、まるでカラーサンプルのように多彩な色でグラデーションを作っている口紅の中から、「赤」に近いものをかごに入れる。
ファイバー入りのマスカラとビューラー、そして、シルバーのパールが入ったスカイブルーのアイシャドウのパレットを買い、洗顔フォームを1つ入れ、レジに向かった。
ジュリアナ東京で踊る女性も、街中の女性も、なぜかまるで娼婦のようなどぎついメイクをしていた頃が記憶に強かったせいか、後で考えれば似合うはずもない組み合わせが、かごの中に集まり、40歳過ぎの女性のレジに並ぶと、一瞬、かごの中身と私の顔とを交互に見られたような気がした。
(アンタが、自分で使うつもり?バカじゃないの?)
口に出すはずはないが、そう言われているのがはっきり聞こえた。1秒でも早くレジを済ませたくて、投げるように千円札を3枚渡すと、おつりを乱暴に握り、後を振り向かずに早足で店を後にした。
まだ、道具を全て用意するまでには、時間がかかりそうだった。
テレビに出てくる「女性の姿をしている男性」を、「オカマ」から「ニューハーフ」に変わりはじめた頃で、そうした性癖を持つ人が、決して少なくないことを誰もが認識し始めた頃だった。けれど、私は男性が「まともな女性」の姿になれるはずがない、と思っていたし、ましてや、高校生の頃から自分の濃すぎる髭に悩んでいた私が、女性に見えるはずがない、と信じて疑わなかった。
「女性に見えない女装」ほど醜い姿はない。
そう思っていた私の「境界線」を越えさせたのは、Netmeeting越しに繋がったS女性との距離を何とかして縮めたい、と思う衝動であり、「顔」によって私を特定されたくない、という防衛本能だった。
「顔」という識別符号を無くしたことで、私は自分の求める性衝動を躊躇なく発露する機会を得、同時に、「女装している自分」という別の人格を持ってSMにまつわる世界を泳いでいくことができることを認識することになる。
最初に、化粧品を近所のドラッグストアに買いに行った。
今になってやっと、男性が化粧品を買うことは「奇異」とまでは言われなくなったけれど、当時は生理用品と同じく、化粧品を売っているコーナーに男性が立ち止まっていることすら不自然だった。
(同棲している彼女が、自分が使う化粧品を切らしてしまい、代わりに買いにきてあげたんだ・・・)
実際はほぼありえない言い訳を必死に絞り出し、化粧品のコーナーの前で、メモを見る振りをしながら、極力安くてリーズナブルで、普段使いの化粧品を選ぼうとした。その方が、いかにもありそうだと、自分に言い聞かせていた。
「ソフィーナ」のリキッドファンデーションが目に留まり、3種類の中から一番白に近いものを素早くかごに入れ、続いて、まるでカラーサンプルのように多彩な色でグラデーションを作っている口紅の中から、「赤」に近いものをかごに入れる。
ファイバー入りのマスカラとビューラー、そして、シルバーのパールが入ったスカイブルーのアイシャドウのパレットを買い、洗顔フォームを1つ入れ、レジに向かった。
ジュリアナ東京で踊る女性も、街中の女性も、なぜかまるで娼婦のようなどぎついメイクをしていた頃が記憶に強かったせいか、後で考えれば似合うはずもない組み合わせが、かごの中に集まり、40歳過ぎの女性のレジに並ぶと、一瞬、かごの中身と私の顔とを交互に見られたような気がした。
(アンタが、自分で使うつもり?バカじゃないの?)
口に出すはずはないが、そう言われているのがはっきり聞こえた。1秒でも早くレジを済ませたくて、投げるように千円札を3枚渡すと、おつりを乱暴に握り、後を振り向かずに早足で店を後にした。
まだ、道具を全て用意するまでには、時間がかかりそうだった。
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