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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
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誰の目にも見えない顔【01】
マンガ雑誌のSM描写にコメントを頂き、その言葉に触発され、少し現実世界に近い部分から、「大人になっていない人」を「コドモ」と表現して、自分を展開してみたいと思う。

 その気になれば、人は、人を何種類かに分類して「分析」することができる。

 私達は、知らない間に、いくつかの設問を投げかけられ、設定された分類のどこに蒐集すべきかを分析され続けているのだろう。

 分類ごとに整頓された集団の中に放り込まれ、その集団を特徴づける行動傾向がないかをモニタリングされる。

 たまたまその特徴が何らかの種類の「商売」に結びついたり、世間の野次馬根性をあおり立てるようなおもしろさを持っていたりすれば、一つ一つの行動は、「人の行動を決定づける公式」のように扱われ、急速に消費され、そしてライフサイクルを終わった後は、誰も省みられずに忘れられていく。

 【どこにも分類されない、誰にも似てない。自分は、自分なんだ】

 本心からそう思えるようになりたいと願わない人などいないはずだ。

 「自分探しの旅」と称する空虚な放浪をいつまでも繰り返す人もいれば、早いうちに自分を肯定できる幸運な人もいる。いずれにしても、分類として、集団としての傾向からその中の一人一人の「顔」を掴もうとするのは難しい。
 
 自分の中にある深い部分の「なにか」を意識して、それを探求し続けるタイプの人ほど、本当の自分の「顔」が「世間の潮流」に乗らないように特徴を消して行動するものだと思う。少なくとも、私はその一人である。

 「普段から服装や生活態度の乱れが目立つ」コドモが、深夜に繁華街を歩いていたら、「大人」たちは厄介なことに巻き込まれないよう、目を伏せて彼らが自分に害を及ぼすことを避けるだろう。

 「真面目で努力家で、面倒見がよく穏やか」なコドモが、家に帰ってフランス書院文庫を貪るように読んでいたとしたら、「有害図書」が、生徒に悪影響を与え始めている、と思うだろう。

 繰り返される「まさかあの子が」、「まさかあの人が」というセリフは、「自分は目に見えるものしか見ていませんでした」、と自らの不明を喧伝しているにすぎない。

 相当に高度な読解力を持っていなければ、目で見える安直なSMイラスト以外からその関係性の「理由」を読み取ることはできない。「一方的な強」と「弱」を鞭と、それに打たれて朱く腫れ上がる皮膚の描写で描きたいと思うなら、荒唐無稽な程全身に傷を描きまくるより、痛みに震えながら、鞭を与える相手が自分にどんな感情をぶつけているのかを描写した方がずっと深く、重く心に響く。

 少なくとも、それが「コドモ」の間のある一瞬を、「大人になるための通過儀礼」の一つに昇華させるためには、性的な描写における安直さは封印しべきだと思う。

 自分が「大人」になった今は、そう思う。

コメント
この記事へのコメント
あれこれ悩むさやかです
 自分では、子どもたちに「まだ早い。」と、言いたくなるのに、他人から言われると、つい抗弁してしまうのは、子供時代に、いつもいつも、そのことで批判されてたからなのか・・・。
 コメントを書いた後、いろいろ考えていたら
>「真面目で努力家で、面倒見がよく穏やか」なコドモ
が、本の中にのめり込むのは、「愛してる」って、言ってくれる彼と実際の肉の交わりがないせいなのでは・・・と、気が付いた。子供にとっては、やっぱり現実の方が刺激的。本当に好きな人がいたら、想いはそっちへ行ってただろう。早すぎる経験は内省する機会をうばう。

 でも、cockshutさん、「フランス書院文庫」は、この齢になっても買えません・・・(^_^;)
2006/07/25 (火) 12:25:03 | URL | さやか #DS51.JUo[ 編集]
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