化粧品が手に入り、その気になればメイクを始められたのかもしれない。けれど、「男」の顔に「女のメイク」をしても、自分を「女」にする気分を昂ぶらせることは無理だっただろう。
無意味な落胆を避けるために、どうしても「ウイッグ」が必要だった。
ちょうどエクステンションが流行っている時期だったから、デパートの「ヤング・レディス」のフロアに行けば、様々な種類のウイッグを簡単に見つけることができた。
問題は、どうやってそれを手に入れるか、だった。
無意味な落胆を避けるために、どうしても「ウイッグ」が必要だった。
ちょうどエクステンションが流行っている時期だったから、デパートの「ヤング・レディス」のフロアに行けば、様々な種類のウイッグを簡単に見つけることができた。
問題は、どうやってそれを手に入れるか、だった。
【彼女に頼まれて】
(化粧品みたいに必ず使うものが決まっているわけでもないものを自分の代わりに買ってくるように頼むわけがない)
【彼女へのプレゼント】
(ないこともない・・・かもしれないけれど、普通、あり得ない)
【演劇部で女役をやることになって】
(・・・、絶対嘘だと思われる・・・)
言い訳に逡巡しながら、ウイッグがディスプレイされている棚が見える角度を通り過ぎるたび、店の外から欲しいものを目で追い、何回も往復した。
値段が隠れていて見えず、どれを選べばいいのかも遠くからでは判別できなかった。
(このまま帰るか・・・、入ってみるか・・・?)
随分迷った後、店内に入る方を選んだ。
アクセサリーや派手なデザインの下着が並べられた棚から一歩入った瞬間、いらっしゃいませ!と明るい声が、店内のあちこちから響く。
もちろん、男性一人で店の中に入る人など、まずいないだろう。店内に待ち合わせている彼女でも探すかのように辺りを見回し、手持ちぶさたな表情を浮かべながら、ウイッグのディスプレイの前に進む。
セミロングのウェービーヘアのハーフウイッグが8,000円、ロングストレートのフルウイッグが9,800円くらいだったように思う。
(どうしても・・・、どうしても欲しい・・・!)
少なくとも、その時点では、他の商品に興味は無かった。
意を決し、明るいブラウンのヘアカラーを入れたセミロングのハーフウイッグを手にすると、思ったよりも軽い。長い髪の毛が手首から肘の辺りを撫でる感触は、まるで本物の女性の髪のように感じた。
すぐに、大きめのピアスと派手なネックレスをつけ、胸元の肌をパールで光らせた店員が、微笑みを浮かべながら近づいてきた。
「ウイッグ、お探しなんですか?」
微笑みをたたえた店員の目に、不審そうな感情は感じられない。身構えすぎていた自分に拍子抜けすると共に、できるだけ冷静な態度を装い、からからに乾いた喉に唾液を一度嚥下してから、思い切って声を返した。
「あの・・・、これって、かつらですよね・・・?」
「ええ、そうです。前髪だけ自分のを使うのがこっちのハーフタイプで、全部かぶるのが、こっちになります」
「へぇ・・・」
不自然な沈黙を遮るように、店員は並べられたウイッグをいくつか説明しつづけている。
(何て言えば、不自然じゃないんだろう・・・?)
何かを口にしなければいけない瞬間が目の前に現れた時、考え続けていた答えが、不意に、口をついた。
「実は・・・、もうすぐ母の誕生日なんですけれど、結構・・・最近髪にボリュームが無くなったって、気にしていて・・・。あんまり本格的なものは多分高いと思っていたんですけど、これは、結構安いんですね」
とっさに口からでた言葉にしては、悪くない「言い訳」だった。きっとあまり猜疑心が強くなさそうな店員は、あるいは売れればそれでいい、と本心では思っていたのかもしれないけれど、にっこりと微笑むと、ハーフウイッグを私に薦めた。
「どうですか?これなんか、結構、いいと思いますよ!フルウイッグはちょっと、かぶり方によってはいかにもカツラみたいな感じになってしまうけれど・・・、こっちならそんなこともないし、ハーフタイプでも、付け方によっては、フルウイッグみたいにすることもできますから」
「へぇ・・・」
私は、「それなら、買ってみようかな」、という言葉に繋がるよう、敢えて素直に言葉を受け止めたような顔をしていただろうと思う。薦められるまま、ハーフタイプのウイッグと静電気防止用のスプレー、専用のブラシをプレゼント用の箱に入れるようにお願いし、鼓動を早めたまま、自分の部屋に急いだ。
このウイッグで創った、女としての「私の顔」は、その後一番長く続くことになり、今でも、このウイッグを取っておかなかったことを残念に思う時がある。
明るめにカラーリングの入った髪色と、強めにかかったカールは、私の顔をかなり派手な姿に変え、予想以上に「女」をアピールする力を与えてくれた。このウイッグがなかったら、その後長く女装に魅せられることも無かったかもしれない。
「髪」は女性の発する魅力の中の大きな要素であることは間違いがない。「男」の位置から「女」を造ろうということは、そうした魅力を一つ一つ分解していく行為とも言えるかもしれない。
長く、ストレートの黒髪をもつ女性を求める気持ちが自分の中にあることも、その行為の中から意識したことである。
そのことに気づいたのは、ずっと後になってからだったけれど。
(化粧品みたいに必ず使うものが決まっているわけでもないものを自分の代わりに買ってくるように頼むわけがない)
【彼女へのプレゼント】
(ないこともない・・・かもしれないけれど、普通、あり得ない)
【演劇部で女役をやることになって】
(・・・、絶対嘘だと思われる・・・)
言い訳に逡巡しながら、ウイッグがディスプレイされている棚が見える角度を通り過ぎるたび、店の外から欲しいものを目で追い、何回も往復した。
値段が隠れていて見えず、どれを選べばいいのかも遠くからでは判別できなかった。
(このまま帰るか・・・、入ってみるか・・・?)
随分迷った後、店内に入る方を選んだ。
アクセサリーや派手なデザインの下着が並べられた棚から一歩入った瞬間、いらっしゃいませ!と明るい声が、店内のあちこちから響く。
もちろん、男性一人で店の中に入る人など、まずいないだろう。店内に待ち合わせている彼女でも探すかのように辺りを見回し、手持ちぶさたな表情を浮かべながら、ウイッグのディスプレイの前に進む。
セミロングのウェービーヘアのハーフウイッグが8,000円、ロングストレートのフルウイッグが9,800円くらいだったように思う。
(どうしても・・・、どうしても欲しい・・・!)
少なくとも、その時点では、他の商品に興味は無かった。
意を決し、明るいブラウンのヘアカラーを入れたセミロングのハーフウイッグを手にすると、思ったよりも軽い。長い髪の毛が手首から肘の辺りを撫でる感触は、まるで本物の女性の髪のように感じた。
すぐに、大きめのピアスと派手なネックレスをつけ、胸元の肌をパールで光らせた店員が、微笑みを浮かべながら近づいてきた。
「ウイッグ、お探しなんですか?」
微笑みをたたえた店員の目に、不審そうな感情は感じられない。身構えすぎていた自分に拍子抜けすると共に、できるだけ冷静な態度を装い、からからに乾いた喉に唾液を一度嚥下してから、思い切って声を返した。
「あの・・・、これって、かつらですよね・・・?」
「ええ、そうです。前髪だけ自分のを使うのがこっちのハーフタイプで、全部かぶるのが、こっちになります」
「へぇ・・・」
不自然な沈黙を遮るように、店員は並べられたウイッグをいくつか説明しつづけている。
(何て言えば、不自然じゃないんだろう・・・?)
何かを口にしなければいけない瞬間が目の前に現れた時、考え続けていた答えが、不意に、口をついた。
「実は・・・、もうすぐ母の誕生日なんですけれど、結構・・・最近髪にボリュームが無くなったって、気にしていて・・・。あんまり本格的なものは多分高いと思っていたんですけど、これは、結構安いんですね」
とっさに口からでた言葉にしては、悪くない「言い訳」だった。きっとあまり猜疑心が強くなさそうな店員は、あるいは売れればそれでいい、と本心では思っていたのかもしれないけれど、にっこりと微笑むと、ハーフウイッグを私に薦めた。
「どうですか?これなんか、結構、いいと思いますよ!フルウイッグはちょっと、かぶり方によってはいかにもカツラみたいな感じになってしまうけれど・・・、こっちならそんなこともないし、ハーフタイプでも、付け方によっては、フルウイッグみたいにすることもできますから」
「へぇ・・・」
私は、「それなら、買ってみようかな」、という言葉に繋がるよう、敢えて素直に言葉を受け止めたような顔をしていただろうと思う。薦められるまま、ハーフタイプのウイッグと静電気防止用のスプレー、専用のブラシをプレゼント用の箱に入れるようにお願いし、鼓動を早めたまま、自分の部屋に急いだ。
このウイッグで創った、女としての「私の顔」は、その後一番長く続くことになり、今でも、このウイッグを取っておかなかったことを残念に思う時がある。
明るめにカラーリングの入った髪色と、強めにかかったカールは、私の顔をかなり派手な姿に変え、予想以上に「女」をアピールする力を与えてくれた。このウイッグがなかったら、その後長く女装に魅せられることも無かったかもしれない。
「髪」は女性の発する魅力の中の大きな要素であることは間違いがない。「男」の位置から「女」を造ろうということは、そうした魅力を一つ一つ分解していく行為とも言えるかもしれない。
長く、ストレートの黒髪をもつ女性を求める気持ちが自分の中にあることも、その行為の中から意識したことである。
そのことに気づいたのは、ずっと後になってからだったけれど。
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