私の愛撫で愉悦を高めていく愛しい女性の身体が、私の目の前にある。柔らかく暖かい身体のどこに触れても、私の刺激を受けいれ、艶めかしさを増しながら身体を弾ませ続ける姿が、確かに今、私の目の前に、ある。
男性なら、誰でも一度は恋愛マニュアル、攻略本(?)の類に目を奪われたことがあるだろう。中学生の頃の私も、どこをどう、どんな順番で触れば感じるのか、「実体験」の前に知っておきたいと思って、それらを手に取ったことがある。
しかし、そんなことは結局、無意味だ。
ここまで深い快楽の波に漂う女性を前にして、男がすべき行為など、マニュアルを見るまでもなく明らかなのだから。
男性なら、誰でも一度は恋愛マニュアル、攻略本(?)の類に目を奪われたことがあるだろう。中学生の頃の私も、どこをどう、どんな順番で触れば感じるのか、「実体験」の前に知っておきたいと思って、それらを手に取ったことがある。
しかし、そんなことは結局、無意味だ。
ここまで深い快楽の波に漂う女性を前にして、男がすべき行為など、マニュアルを見るまでもなく明らかなのだから。
聞きかじったマニュアルのとおりに扱いさえすれば、思ったとおりの結果が返ってくるわけではない。そして、人と人とが深く感情を絡め合う行為は、決して他の方法で疑似体験することができない。
初めてイチジク浣腸5本を受け入れ、しかも数十分も排泄を耐えることができたのは、なぜだったのだろうか。乳首を挟んだクリップから輪ゴムで繋がれた洗濯ばさみを亀頭に着けられ、ちぎれるような痛みにのたうち回った時に感じた不思議な安心感は、一体、なんだったのだろうか。
次々と加えられる苦痛を味わいながら、私は頭の中に、生ぬるい白い霧のようなものが拡がる感覚を覚えた。まだ、それが何なのかわからなかったけれど、確かに何かが、頭の中の攻撃的な部分を真綿でくるむように拡がっていくような感覚だった。
下僕として、私は御主人様から受け取る刺激を、愛撫でなく苦痛にしてほしいと願ってきた。そして、そこまで受けとめたいと願う私を慈しむ御主人様から、柔らかな微笑みと共に乳首の一番先の部分だけを摘むようにクリップを止め、焼けるような鋭い痛みを私の身体に送りこんで欲しいと願った。
願いは叶い、その瞬間から痛みに顔をゆがめながら、両手を御主人様の大腿に置き、そのまま身体を震わせて痛みを味わう。身体に走る痛みは、普段の生活ではとても「味わう」種類の感覚ではないのに、私がそれを望み、御主人様は私が苦しむ姿を見たがっている。
私は、演技ではなく、本当に耐えられないほど強い痛みを欲しているのだ。
以前、私は愛しい御主人様がすることだから苦痛を頂くのではなく、苦痛自体が欲しいと思うのだ、と宣言したことがある。でも、それは本心ではなかったのかもしれない。
純粋に痛みと、その質を追究することでより快感を得られるストイックなM性を持っている人もいると思う。しかし、私はそうではなかった。
電話やチャットで、「豚」扱いされるのは耐えられなかった。反対に、好みの責めをカウンセリングされながら、金銭的な報酬の対価として受け取ることも望まなかった。
女装したいと思い、動物としての自分の性にまで反して私が求めたMとしてのカタチは、今、結局とてもシンプルなS女性とM男性として対峙する主人と下僕の関係となって完成したのだ。
これ以上の望みは、私にはない。
願わくば、全身に鞭と蝋燭とクリップの痕が残るまで、そして、その傷が癒える前に新たな傷痕が付くほどに責められてみたい。物理的にもっと多くの時間を下僕として過ごしたい、無い物ねだりをするとすればそんなことでしかない。
これ以上ない望みを叶えた私の前に、高まりの直前に喘ぐ身体が、ある。
私が、すべきことは一つだった。
・・・その10へ続く
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