(何・・・?、何をしているの・・・?)
隣の書棚に並んだ古い書籍のくすんだ背表紙の向こうに、人がいる気配は、十分に感じられる。間違いなく、自分のすぐ隣で何らかの準備をしているはずだ。
衣擦れの音と、金属製の棚を軽く叩く固く澄んだ音が何度も繰り返されている。無言のまま、何かを用意していることは分かる。しかしそれが何かは、全く分からない。
視界を閉ざされると、聴覚や嗅覚の知覚能力は増大する。目隠しされたわけではないが、今、知加子の両目から伝えられる情報は、感情を落ち着けるためには何の役にも立たなかった。
目に映るものに変化はない。
隣の書棚に並んだ古い書籍のくすんだ背表紙の向こうに、人がいる気配は、十分に感じられる。間違いなく、自分のすぐ隣で何らかの準備をしているはずだ。
衣擦れの音と、金属製の棚を軽く叩く固く澄んだ音が何度も繰り返されている。無言のまま、何かを用意していることは分かる。しかしそれが何かは、全く分からない。
視界を閉ざされると、聴覚や嗅覚の知覚能力は増大する。目隠しされたわけではないが、今、知加子の両目から伝えられる情報は、感情を落ち着けるためには何の役にも立たなかった。
目に映るものに変化はない。
視界を完全に奪われたわけではないだけに、その他の感覚も鋭くなることはなかった。
何かを棚に置く固い音、プラスチックが摩擦されて絞られるような音、柔らかなものが何かに触れる音、キャップのようなものを閉じる音、ほんの一瞬で残像まで消してしまう空間には、不可思議な音の波紋が、広がり続けている。
「何をしているんですか・・・ッ!答えて!!答えて!!・・・、ねえ・・・っ、ねえっ!」
身を捩りながら、あらん限りの声で叫ぶ。首筋に汗の雫が浮かび、苦悶の表情で訊ね続ける知加子の姿に、性欲を刺激されない男などいるはずはないだろう。しかし、彼女だけが、そのことに気がついていない。
(どうして答えてくれないの・・・?・・・怖い・・・、一体、何を考えているの・・・)
テレビニュースを賑わせている残虐な誘拐犯の手口や、異常としか思えない性犯罪の裏には、被害者となった者たちの、こうした不安が必ずあっただろう。汗ばむ肌の中で、胃の辺りからじわじわと広がり続ける恐怖が、身体を氷のように冷やし始めていた。
もう、そこで行われている「準備」が始められてから30分近くが経過しているはずだった。しかし、やはり、何の返事も無く、繰り返される音の種類も変化していない。
本当は、大人の女性であれば、その音を聞けば、本来なら私が何をしているか類推がつくはずだった。
「知加子さん・・・」
さっきまでとは打って変わった声が、書棚の向こうから知加子の名を呼んだ。
「何なんです・・・、もう・・・もういい加減にしてくださいッ!早く、早く家に帰して!!!」
「知加子・・・さん・・・」
知加子の問いかけには全く返事をしないまま、うわずった声で、私は知加子の名前を呟く。
「えっ・・・、エッ・・・?、な、何・・・ッ?」
暗がりに面した書棚の裏から現れた私を見て、知加子は息を呑み、わなわなと震えながら私を凝視し続けていた。
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