最近見たビデオで、裸にされ、後ろ手に拘束されたまま、激しくイラマチオを強制され、喉の奥を男性自身で突き上げられ、口をとじることもできずえづきながら涙を流しながら苦悶するシーンに、久しぶりの興奮を感じた。
「えぐる」性と「押し込まれる」性、これほど、男女間の荒々しい性描写はないような気がした。
「えぐる」性と「押し込まれる」性、これほど、男女間の荒々しい性描写はないような気がした。
自分に化粧をするために化粧道具を買ったことも、ストッキングをはくために体毛を剃ったことも、その時まではまだ経験したことがなかった。
もともと、私はSM小説やビデオのM女性に感情移入していたから、もちろん自分が「女性」になることができるのなら、それが一番「欲望」への近道だったかもしれない。しかし、それは「そこまでやったら・・・」と躊躇する私なりの限界ラインを超えていたことだった。
時折目にする女装系の雑誌に載っている写真に、めったに「女性として」綺麗だと言えるものはなかったと思う。
自分ならこの人たちより綺麗になれる、と思うほど私は女性的な顔ではなかったし、男性としても髭の濃さに悩んでいたくらいだったから、最初から「綺麗」を望むのは無理は話だった。
もともと、私はSM小説やビデオのM女性に感情移入していたから、もちろん自分が「女性」になることができるのなら、それが一番「欲望」への近道だったかもしれない。しかし、それは「そこまでやったら・・・」と躊躇する私なりの限界ラインを超えていたことだった。
時折目にする女装系の雑誌に載っている写真に、めったに「女性として」綺麗だと言えるものはなかったと思う。
自分ならこの人たちより綺麗になれる、と思うほど私は女性的な顔ではなかったし、男性としても髭の濃さに悩んでいたくらいだったから、最初から「綺麗」を望むのは無理は話だった。
「M男性である自分」のまま、SMを好む人々の中に交わっていく場所を、チャットルーム【仮面舞踏会】で初めて見つけた私だったが、サイト閉鎖と共にその場所を失い、特定の名前と人格を持ったM男性から、一人の「M男性を名乗る人」に戻ることになる。
自分も、他人の顔も見えないまま、ネット上を砂粒のように漂った日々の記憶。
自分も、他人の顔も見えないまま、ネット上を砂粒のように漂った日々の記憶。
- 顔のない関係【01】
- 顔のない関係【02】
- 顔のない関係【03】
- 顔のない関係【04】
- 顔のない関係【05】
- 顔のない関係【06】
- 顔のない関係【07】
- 顔のない関係【08】
通い慣れ、自分のハンドルネームで挨拶すれば自分であることを認識してもらえた「仮面舞踏会」がなくなった後、他のSMチャットルームでもう一度最初から関係性を構築することは容易なことではなかった。S女性は極端に少なく、満足に話しをすることも叶わず、チャットをあきらめかけた時、私は新しい「道具」を見つける。
Netmeetingを初めて使うと、「Japan」の女性に興味津々な外国人から何度も呼びかけられ、接続をOKするとすぐに質問攻めに逢う。自分が男性であることを明かすとすぐに切断されたが、数人が使っているWebcam経由の動画が案外鮮明であることに驚く。
「S女の方、お話してください」型どおりのコメントを入れると、数人の「S女性」と話しをすることができた。ネット経由で「M男性」と会話をすることに慣れてきたS女性達は、自分の指示した内容をデジタルカメラで撮影して送ることを命じはじめた。
初めてNetmeeting経由の「私」は、あるS女性から一人のM男性として認識してもらえる程度に会話を重ねる。画面の向こうに、リアルタイムでS女性が自分に何かを命じてる、という興奮にとりつかれ始める。
デジタルカメラでの「命令の実行報告」は、次第にエスカレートし始め、カメラでの送信が追いつかなくなりはじめる。ついに自分の映像をwebcamに映した私。
思った以上に鮮明な映像を映し出すwebcam。素顔のままでM男性だと不特定多数に素顔を晒すことはできず、それまで、興味を持つことすらなかった「女装」の顔を身にまとうことを選ぶ。
男性の姿のまま、女性しか使わない道具を手に入れる恥ずかしさに躊躇しつつも、一つ一つそれらを手に入れる高揚感につつまれていく私。
一人暮らしの男性が女性の下着を手に入れるために利用できる手段はまだ多くなかった。女装趣味の男性が集まることで有名なショップに初めて入り、てにできなかったいくつかの道具をそろえていく。
今年も、一年が終わろうとしている。
いつか見た「ドラえもん」の出してくれた道具に、時間の流れが風になって見える道具があった。取り出した途端、ものすごい勢いでドラえもんとのび太の周囲を風が吹き抜け、決して戻らず、止まらず、流れ続けている時間を視覚化することがどれだけ恐ろしいかを感じたことがある。
(ドラえもんがそれを実感させたかった当ののび太はそこまで意識しなかった話だったと思うけれど・・・)
いつか見た「ドラえもん」の出してくれた道具に、時間の流れが風になって見える道具があった。取り出した途端、ものすごい勢いでドラえもんとのび太の周囲を風が吹き抜け、決して戻らず、止まらず、流れ続けている時間を視覚化することがどれだけ恐ろしいかを感じたことがある。
(ドラえもんがそれを実感させたかった当ののび太はそこまで意識しなかった話だったと思うけれど・・・)
最近になって、なぜだか分からないけれど、御主人様の前でする行為の中で羞恥心を感じることが多くなってきた。
以前から、私は御主人様から「豚」とか「犬」扱いをしてもらうことではなく、あくまでも人として壊されてみたいと思う気持ちが強い。特に男性Sのが、女性Mさんに対して「犬」「豚」扱いをしているのを見ることがあるけれど、あまり好感を持てないことが多かった。
外を歩いていた格好から、コートを脱いだだけの姿の御主人様の前で、一糸まとわぬ姿で平伏することに羞恥心は感じなかったし、むしろ、不思議な安堵感を感じるくらいだった。
男性なんだから、裸に対する羞恥心なんて、そんなものだろうと思っていた。